■ ベスト・フレンド・トライアングル(?)
 
 
 
 
顔を背けあう二人に、和解の(すべ)はないのだろうか。
仲良く、円満にいけばいい。
そう願うのは、友達として間違ってはいないはずだ。
 
 

 
 
「……」
 
 乃梨子は目の前にある二つの顔を見比べ、小さく溜息を吐いた。
 瞳子と、可南子さん。
 薔薇の館の二階にある、楕円テーブルを囲んだ二人は、目すら合わせようとしない。
 
「……誰もこないね」
「そうですわね」
「……」
 
 辛うじて返事をしてくれたのは瞳子。一方可南子さんは、先に返事をされたのが気に食わなかったのか、つまらなそうに視線を外へ。
 
 ――まったく、この空間が嫌になる。
 
 どうしてこの二人、これほど仲が悪いのだろう。
 今だって、お互い何も言いあっていないのに、無言で牽制しあっているような、そんな雰囲気がある。
 瞳子は他の上級生がいると、『演技派女優』になって機嫌が悪いそぶりを見せない。しかし、こうして一年生だけになるとこれである。
 
「二人ともさ、何か喋ろうよ。何だか場が暗くなっちゃって」
「私に喋ることなんてありませんわ」
「私だって」
 
 キッと睨み合う二人。きっかり三秒そうすると、二人同時に「ふん」と目を逸らす。ここまで揃っていると実は仲がいいんじゃないかと思ってしまうけど、やはり仲が悪いのは事実なのだ。
 
(勘弁してくれないかなぁ)
 
 乃梨子は心底そう思う。二人とも、乃梨子の身になって考えてみて欲しい。どうして乃梨子が、ここまで居心地の悪い思いをしなければならないというのか。
 ギスギス、ギスギス。人間関係が、刃擦れの音を発しているみたい。
 本来これを止めるのは祐巳さまの役目なのだろうけど、いがみ合う原因の一人である彼女が口出ししたところで、この関係が改善されるとは思えない。
 つまり。
 この二人を和解させるのは、クラスメートである乃梨子の役目なのである。――多分。
 
「よし!」
 
 乃梨子がテーブルを叩いて勢いよく立ち上がると、二人ともびくっと肩を震わせた。
 
「どうしたんですの、乃梨子さん」
「ちょっとね。可南子さん、一緒にきてくれる」
「え? ……別にいいけれど」
 
 可南子さんの手をぐいぐい引っ張って、サロンの外まで連れ出す。ここまでくれば中には聞こえないだろうというぐらい離れて、一呼吸から置いてから言った。
 
「可南子さんさ、瞳子のどこが嫌なの?」
「は……?」
「だって、瞳子と仲悪いんだもん。どこか嫌なところがあるからでしょ?」
「それは、そうだけど」
「なら聞かせてよ。言わなきゃ分からないし、どうにかなることかも知れない」
「別に、どうにかしたいなんて思ってないわ」
「いいから! 言うだけ言ってみてよ」
 
 乃梨子がガツガツ攻めていくと、可南子さんは逡巡の後、ゆっくりと語りだした。
 
「まず、偽善者じみたところが嫌い。上辺だけで生きているみたいな態度が嫌い」
「――うん」
「それに性格も捩れてるわ。協力しろ、協力しろって言うくせに、いざ協力すると不快そうな顔をする。捩れているといると言えば、あの曲がりくねった髪型も気に入らないわ。冗談にしたって、毎日してくることないのに」
 
 いや、あれは冗談じゃないと思うけど。――まあ、大体言いたいことは分かった。
 この可南子さんの言い分の中から、関係改善の糸口を掴めばいいわけである。
 
(でも、瞳子の性格って変えれるかなぁ)
 
 瞳子の性格って、そりゃ可南子さんから見れば捻くれて見えるかも知れない。しかし、瞳子はその実、筋の通った性格だ。わがままとも言える位、真っ直ぐな性格。
 その性格を変えろだなんて、友として間違ってはいないだろうか。
 
「うん。言いたいことは、大体理解した」
 
 そう言って可南子さんをサロンに帰し、代わりに瞳子を部屋の外に引っ張ってきた。
 少し強引な乃梨子に、瞳子は目をぱちくりさせていた。
 
「何ですの、急に」
「心して聞いて」
 
 ぐっと肩を掴み、瞳子を真正面に捉える。
 その大きな瞳をどこまでも真っ直ぐに見ながら、乃梨子は言った。
 
「瞳子、あんた髪型かえなさい」
 
 ――と。
 
 

 
 
「ごきげんよう、みなさん」
 
 翌朝、瞳子が教室にくるなり、一同が一斉に息を飲んだ。
 瞳子が、本当に髪型を変えて来たのだ。
 祐巳さまゆずりのツインテール。勿論、彼女がトレードマークとも言える髪型を変えたのには、簡単なストーリーがある。
 あの後、突然何だと文句を言う瞳子に、乃梨子は言ってやったのだ。
 
『このまえ祐巳さまがね、何ともなしに「瞳子ちゃんの別の髪型も見てみたいなー」って言ってたのを聞いたのよ。もう目をうっとりさせて、髪型を変えた瞳子を夢見ているみたいだった。そうそう、「できれば私と同じ髪型になった瞳子ちゃんが見たい」とも言ってたわよ。あんた祐巳さまに好かれてんだから、ちょっとぐらいサービスしたら? いつもお世話になっているんだし、ね?』
 
 この説得が利いたのか、瞳子は本当に髪型を変えてきたわけである。
 ちなみに、祐巳さまの台詞は全てでっちあげ。何故髪型にツインテールを指定しているかと言えば、多分可南子さんが好きだから。きっと彼女はツインテール属性だ。間違いない。
 
(それにしても……)
 
 ツインテールの瞳子、凄い違和感。
 意外と髪長かったんだな、とかいう感想もあるけど、何より目を引くのが髪の捩れ。二つに分けた髪の房が、何だかバネを伸ばしきったみたいになっているのだ。
 
『瞳子、バネが伸びきっていてよ』
『ゆ、祐巳さま……』
 
 ありえない光景が頭の中で再生され、乃梨子は噴出しそうになるのを我慢するあまり、身体をくの字に折った。
 
「乃梨子さん? どうしたのかしら」
「いや、何でも。それより、ちゃんと髪型変えてきたのね」
「……ちょっと気が向いただけですわ。髪形を変えるのだって、役作りには必要なことですし」
 
 つまり祐巳さま好みの、瞳子の役作り、と。無理矢理演劇にかこつけようとしているけど、実に分かり易い。
 
「さて」
 
 後は可南子さんが来るだけだ、と教室の入り口に視線を向けると、ちょうど可南子さんが登校してきた所だった。
 
「瞳子、ちょっと来て」
「の、乃梨子さん!?」
 
 何人かの生徒がちらちらとこちらを窺っているけど、そんなのはお構いなし。乃梨子は瞳子を引っ張っていって、丁度着席した可南子さんの前に立たせた。
 
「見て、可南子さん」
 
 一体なんですの!? と憤慨する瞳子の口を塞ぎながら言う。
 対する可南子さんはと言えば。
 
「……誰?」
 
 ――って、瞳子だと気付いてもいない。
 
「瞳子イメチェンしたんだって。ちょっと祐巳さまに似てるけど、ほら、何て言うか……瞳子らしさも残ってていいと思わない?」
 
 つまらなさそうでも、そっけなくてもいい。
 ただ「そうね」って言えば、この場は丸くなる。ただ同意さえすれば、お互いを認め合うことに繋がっていく。
 ――こういう瞳子もいいと思わない?
 ――そうね。
 たったそれだけでも、二人の距離は一歩近づく。例え第三者の干渉があろうと、それは大きな一歩なのだ。
 ただ「そうね」って言えば。そう言いさえすれば――。
 
「――ぷっ。くくっ……」
 
 って人が真剣に願ってる矢先に笑いやがりましたよ、この女。こっちは噴出しそうになるの我慢したってのに!
 
「か、髪が捩れて……くっ、あはっ、あはははは!」
 
 ついには爆笑しだす可南子さん。私の段取りは一体何だったのよって、乃梨子は景色が遠くなって行くのを感じた。
 そして笑われた方の瞳子は、当然黙っていられるわけもなく。
 
「細川可南子っ――!!」
 
 二人の関係は、悪化の一途を辿るわけである。
 
 

 
 
 しかしまあ、そんなことでこの騒動が終わるはずがなかった。
 
「ごきげんよう」
 
 放課後になって、薔薇の館を訪れる。一年生三人がサロンの扉を開けると、中には既に志摩子さんたち二年生が揃っていた。
 さて、これからが正念場なのである。何せ祐巳さまは、この髪型の瞳子を御所望になったということになっているのだから。
 
「ごきげんよう、乃梨子ちゃん、可南子ちゃん。それから、……えっと」
 
 カップをソーサーに置いて言う祐巳さまに、まさかまさかと危機感を抱く。
 これって、ひょっとしれあれですか。可南子さん同様気付いてないのでは。
 
「乃梨子ちゃんのお友達?」
「まあ、友達と言ったらそうなんですが」
 
 ああ、やっぱり気付いてない。
 いつもはどうでもいいけど、今日ばかりはその天然が憎いよ。
 
「祐巳さま……」
「その声……瞳子ちゃん!?」
 
 びっくりして目を見開く祐巳さまは、もう百面相全開だ。
 
「まさか、気付かれなかったとか?」
「そんなことな……い、とは言い切れないんだけど」
 
 両手を振って面白いぐらい動揺している祐巳さまは、「でもね」と付け加えた。
 
「その髪型もいいと思うよ」
「ど、どんな風にです?」
 
 にっこり笑っていう祐巳さまに、唇を突きだして上目づかいになる瞳子。
 いい感じだ。ここで祐巳さまがフォローしてくれれば、瞳子の不機嫌も治る。
 ――そう思っていたのに。
 
「えーっと、その。ほら、バネを伸ばしきったみたいで」
 
 なってないなってない、ちっともフォローになってない!
 つーかあんたも同じこと思ったんかい! と、乃梨子は突っ込みつつも笑いを堪えていた。
 
「なんて言うか、ドリルが細長くなっただけのような」
 
 その上由乃さまが、追い討ちをかけてくる。
 
「由乃さん、ドリルだなんて失礼よ」
 
 ――とそれを諌めたのは、他でもない乃梨子のお姉さま、志摩子さん。
 良かった。やはりこういう場には、一人ぐらい良識人がいないと収集がつかない。
 さあお姉さま、どうかこの場を丸く収めて! そう乃梨子はテレパシーを送ったけど。
 
「せめて失敗したクロワッサンでどうかしら」
 
 場を収めるどころかトドメ刺しやがりましたよ、おねーさま。
 ドリルより何ぼか失礼な発言である。
 
「皆さま方……!」
 
 瞳子は握った拳を小刻みに震わせて、今にも爆発しそうな雰囲気。
 ちなみに可南子さんは、肩を震わせて笑っていた。今日の可南子さんは実によく笑う。
 それが引き金になったのか知らないけど、遂に瞳子は爆発した。
 
「瞳子の髪型はドリルでもバネでもクロワッサンでも竜巻でもジェットエンジンでも逆ソフトクリームでもありませんわ!」
 
 誰もそこまで言ってねぇ――。
 目を半開きにして遠い目をする一同の中、志摩子さんだけはいつもと変わらない口調で「じゃあ」と言った。
 
「その髪型は何なの?」
「え……?」
 
 まるで時間が止まったかのように、瞳子の動きが止まった。
 
「ひょっとして、ネタだった?」
 
 あっけらかんと訊くのは、由乃さま。
 
「私たちがツッコんであげなかったから、止めるに止めれなかったのかしら」
 
 こんな時でも冷静に返すのは、志摩子さん。
 
「実は天然パーマとか」
「あら、それなら私とお揃いね」
「はたまた寝癖だったとか」
「一体どんな寝相なのかしら」
「髪の毛が跳ねてないと落ち着かない、バネ髪フェチとか」
「だから今日は機嫌が悪いのね」
「あの、……お姉さま、由乃さま」
 
 そろそろ瞳子の爆発第二弾が来そうだから、その辺でマジ勘弁して下さい。
 そう視線で言っていると、今まで静観していた祐巳さまがずい、と前に出てきた。
 
「まあ、それぞれの髪型の理由なんて、そこまで詮索しなくていいんじゃないかな。私も今の髪型にしてる理由訊かれたって、上手く答えられないし」
 
 珍しくバシっと決めてくれた祐巳さまは、瞳子の髪にそっと触れながら続けた。
 
「それにちょっと捩れたこの髪も、何だか瞳子ちゃんらしくて可愛いな」
「ゆ、祐巳さまっ」
 
 顔を真っ赤にして一歩引くものの、瞳子は積極的に止めさせようとはしない。
 それを見ていた志摩子さんは何を思ったのか、席を立つと乃梨子の前までやって来た。
 
「それを言うのなら、乃梨子の髪型もらしくていいわ。切り揃えられた髪が、乃梨子らしくて」
「し、志摩子さん……」
 
 うっかり乃梨子は、学校であることを忘れて「志摩子さん」と呼んでしまったけど、もうどうでも良かった。
 優しく髪を撫でて、間近に迫った顔を見るだけで、そんなことはもうどうでもいい。
 
 ――さて、こう二人ずつでいい感じになっていると、残された二人はどうなったんだと気になるわけで。
 ちらりと可南子さんの方に視線を向けると、彼女の後ろに由乃さまがいた。何をしているんだと目を凝らして見れば、何と可南子さんの髪を三つ編みにしていた。
 
「可南子ちゃん、三つ編みも似合っているわよ」
「よ、由乃さま」
 
 にっこりと笑う由乃さまに、頬を染める可南子さん。
 お世辞にも「似合っている」とは言えなかったけど、まあそれを指摘するのは野暮というもの。
 それぞれが何だかいい雰囲気を作っていると、おもむろにサロンの扉が開いた。
 
「ごきげんよう。……あら」
「どうしたの、祥子」
 
 黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)を連れ立って現れた紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は、瞳子を見て言った。
 
「どちら様?」
「瞳子ですっ――!」
 
 

 
 
 夕暮れ時の帰り道。乃梨子たち一年生三人は、並んで歩いていた。
 一年生は上がっていいと言われ、乃梨子は志摩子さんを待っていようと思っていたけど、ますます仲が悪くなってしまった二人を放っておくこともできず、こうして三つの影法師を落としているのである。
 
「ねえ」
 
 無言を断ち切ったのは、珍しいことに可南子さんだった。
 え? と彼女を振り返ると、どうしたことか。可南子さんの視線の先には、乃梨子ではなく瞳子がいた。なんと彼女の方から、瞳子に話しかけたのだ。
 
「……何かしら」
「笑わないの?」
 
 可南子さんは、三つ編みにされた髪を持ち上げながら言う。
 
「笑うほど面白くありませんもの」
 
 可南子さんを一瞥した後、瞳子はぷいとそっぽを向いて言った。
 確かに爆笑級の面白さでもないけど、折角喋りかけたのを無碍にするような言い方するなよ。と、乃梨子は小さく溜息をついた。
 
「更に言わせて頂くと、ちっとも似合っていませんわ」
 
 その上余計なこと言うし! ――乃梨子が横目で瞳子を睨むと、その反対側からくすりと笑い声が聞こえた。
 
「え?」
 
 振り返ると、可南子さんが小さく笑っていた。
 そりゃ今朝瞳子を見て大笑いしていた可南子さんだから、似合わないと言われても文句は言えないだろうけど。
 
「まったく、その通りね」
「ええ、そうですわ」
 
 そう返して、瞳子も「ふっ」と「はっ」と混ぜたような笑い声。
 何だかよく分からないけど、悪い雰囲気じゃない。いつもの牽制はなく、嵐の後の静けさのような、ちょっとだけ寂しさを伴った雰囲気。
 
(まあ、いいか)
 
 多分、『これにて一件落着』ってやつだ、これは。
 
「はいはい。これで今朝瞳子の髪型笑ったの、チャラだよね?」
「……まあ」
「そうなりますわね」
 
 左手で瞳子、右手で可南子さんの肩に手を回し、乃梨子はぽんぽんと二人を叩いた。
 
「仲良きことは、美しきかな」
「仲良くなんてありませんわ」
「仲良くなんてないわよ」
「うん、そうだね」
 
 ふふっと笑ってまた、ぽんぽんと肩を叩く。
 瞳子も可南子さんも、そっぽを向いてお互いを見ようとはしない。
 それでもいいと思った。ちょっとだけでも歩み寄れたなら、それでもいい。
 
 夕陽が山に消える、その間際。
 銀杏並木の道にできた三つの影法師が、楽しそうに踊っていた。
 
 

 
 
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