■ 頑張れヘタ令さま! 〜黄薔薇のつぼみ、不在〜




「由乃ぉ……」
「まったく、あなたは本当に情けない黄薔薇ね。しっかりなさい、このヘタ令が」
 
 状況を簡単に説明しよう。令さまが、ヘタレている。ついでに祥子さまが、ここぞとばかりに令さまを貶している。
 乃梨子が薔薇の館の二階に上がって即座に理解したのは、それだけの事だ。
 
「修学旅行で由乃ちゃんに会えないだけで、どうしてそこまでダメになれるのかしら……」
 
 はぁ、と溜息をついたのは紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)である祥子さま。
 二年生たちが修学旅行中の今、薔薇の館には令さまと祥子さま、それに乃梨子の三人しか居ない。
 
「簡単に言わないでよね、由乃がいないだけで、私がどれだけ心配か」
「……あなた、ちっともロザリオ返された時の教訓が活かされてないのね」
「じゃあ祥子は、祐巳ちゃんが居なくて寂しくないわけ?」
「もちろん。私には、これがあるもの」
 
 乃梨子が薔薇さま方の為に紅茶を淹れていると、祥子さまはおもむろに制服のポケットから細長い物体を取り出した。
 お茶を運びながら見ると、それがボイスレコーダーだと見て取れた。やはり大企業の令嬢の持ち物だけあって、もの凄く高そうである。
 
『お姉さま大好き』
 
 祥子さまがボイスレコーダーの再生ボタンを押すと、まるでそこに居るかのような高音質で、祐巳さまの声が再生された。
 
「ね? これさえあれば、私は寂しくないわ」
 
 満面の笑みで言う祥子さまを見ながら、乃梨子は思う。
 あーあ、この人本格的に駄目だ。
 
「く、悔しい……」
 
 しかも悔しいのか令さま。
 乃梨子は(スール)に会えずにちょっぴり理性が飛び気味の薔薇さまたちを冷たい目で見ながら、紅茶を一口飲んだ。
 
「はっ!?」
 
 ――と、その時。
 令さまは何かを思いだしたかの用に、突然椅子を立った。
 さっきまでの表情とは打って変わって、ミスターリリアンの称号に相応しい、凛々しい表情だ。
 
「今、由乃が私のこと考えていた気がする……!」
「あんたもう黙ってろよ」
 
 あんまりにもバカらしかったので、乃梨子は最近流行のプチギレをかましてしまった。
 
「何ですって!? 乃梨子ちゃん、今なんて言った?」
 
 しかしここは上下関係の厳しい学園。
 令さまはこんな時だけまともになって、乃梨子に詰め寄った。
 
「発言を控えるようにお願いしただけですが」
「あれがお願い? いい度胸してるじゃないの」
「止めなさい、二人とも。はしたなくてよ」
「だって、令さまがあんまりにもバカなことを仰るから」
「バカなことですって!?」
「止めなさいと言っているのよ。これ以上続けたら二度と笑えない身体にするわよ」
 
 祥子さまが怖すぎたので、流石に負けず嫌いの乃梨子もこれ以上言うのは止めた。
 そして令さまが着席するのを見届けると、祥子さまは乃梨子に向かって言う。
 
「で、乃梨子ちゃんは?」
「は?」
「乃梨子ちゃんは、どうやって(スール)がいない寂しさを紛らわせているのか、と訊いているのよ」
 
 おいおい、寂しがっているのはもう決定事項なのか、と乃梨子は苦笑した。
 別に乃梨子は、薔薇さま方ほど病的に寂しがってはいないのだ。
 
「私は、別に何もしてませんけど?」
「嘘おっしゃい」
「いえ、本当に」
「そんなこと言わずに、正直に言ってしまいなさい」
「何もしてません、ってば」
「乃梨子ちゃん。嘘はあなたのためによくないわよ」
「だから……」
「あーもうっ! 聞き分けのない子ね!? 自白剤飲まされたいの? それとも拷問器具でネチネチ訊き出されるのがお好みかしら!? つーか無くても捏造しろよ! 芸人ならさあ!」
 
 何だかよく分からないが、祥子さまはキレた。
 ヒステリーじゃなくて、ブチギレした。
 
「いや、芸人じゃないですし」
「何言ってるのよ。趣味が仏像鑑賞とか言っている人間が」
「私の趣味はネタ扱いかい」
「え、じゃあ本気で言ってたの? それならいいわ。そっちの方が面白いから」
 
 このバカ薔薇がぁっ、と乃梨子が拳を握り締めた所で、不意にビスケット扉が開く。
 そこから顔を覗かせたのは、乃梨子のクラスメートである瞳子だった。
 
「ごきげんよう、皆さま。何の話をしていましたの?」
「ああ、瞳子ちゃん。いい所にきたわ、令が困ったことになっているの。助けてくれるわね?」
「え……? あ、はい」
「じゃあちょっとイタリアまで穴掘ってくれない? そのドリルで」
「は? これはドリルじゃなくて――」
「ドリルッ!! 男の武器ッ!!」
「ヘタ令は変なところででしゃばらないでちょうだい。っていうかあなたはいつから男になったのよ」
「男になった、だなんて。まだチェリーっすよ」
「だから、あんたもう喋るなよ」
「あ、でも由乃がオッケーしてくれるなら、今年のクリスマスにでも――」
「だーかーらー! あんたは黙ってろって!」
「まあいいわ。こんな感じで令が大変だから、大急ぎでイタリアまで直通のトンネルお願いね」
「……帰ります」
「掘れって? な?」
 
 祥子さまは瞳子の頭を鷲掴みにして上下に揺すり、無理矢理頷かせた。
 鬼だ、この人。
 
「それじゃ、お願いね瞳子ちゃん。制限時間は私が気が向くまで。はい、ゴー」
 
 瞳子はドリルと呼ばれた縦ロールをぶるぶると揺らして、泣きながら薔薇の館を後にした。
 憐れだと思ったが、この場に取り残された乃梨子の方が憐れである。
 
「で、乃梨子ちゃん。あなたは何か面白い答えを思いついた?」
 
 面白い答え、って。ここは笑点か。
 乃梨子はこんな所で歌丸師匠の偉大さを知った。
 
「あ、あまりに寂しいので、志摩子さんの顔をした仏像を彫ってます」
「山田くーん。乃梨子さんの座布団全部持ってって」
「はい、ボッシュートぉー」
「え? ダメですか? かなり必死に考えて自信あったのに。って令さま何するんですか!」
「あの……」
 
 ――と。乃梨子が令さまに椅子をぶん取られて床に転がっている最中に、瞳子と入れ違うようにして可南子さんが現れた。
 
「あの、薔薇さま方? 瞳子が館の外で泣きながら逆立ちしてたんですけど、何かあったんですか?」
「土遊びでしょう? あの子もまだまだ子供ね」
「アンタやっぱ鬼だ」
 
 思わず乃梨子はツッコんだが、祥子さまは涼しい顔をして流した。
 居住まいを正した祥子さまは、今度は可南子さんに向けて問う。
 
「ところで可南子ちゃん。祐巳が居なくて寂しいでしょう? あなたはその寂しさをどうやって紛らわすのかしら?」
「は?」
 
 予想通り困惑する可南子さんに、乃梨子はこっそり忠告した。
 出来るだけ面白く答えろ。さもなきゃ一生瞳子と地面を掘る事になる、と。
 
「わ、分かりました。お話します」
 
 可南子さんはコホンと咳払いしてから、堂々と語りだした。
 
「私はタヌキのぬいぐるみにユミと名づけて、毎晩一緒に寝ています。おはようのキスとおやすみのキスを朝晩各一回。行ってきますとただいまのチューも欠かせません。最近ではそれだけじゃ満足できなくなって、祐巳さまの周りをウロチョロしている写真部から双方合意、極めて友好的で正当な取引によって祐巳さまの写真を等身大にプリントしていただき、そのポスターの中の祐巳さまと毎日ディープなキッスを交わしてから学園にきています」
「……本当に?」
「本当です」
「本気で?」
「本気です」
「変態?」
「変態です」
 
 おいおい、認めてしまっとるで、可南子さん。
 
「って、誰が変態ですか! いくらロサキネと言えど許しませんっ!」
「略すなよ」
「もはやロサなんたらとフルネームで呼ぶ価値などありません。私は怒りました」
「へえ、怒ったら何をするのかしら」
「……ふっ」
 
 可南子さんは不敵に笑うと鞄を探り、何かを握ると口端を更につり上げた。
 
「これでさよならですね、ロサキネ」
 
 一体彼女にあそこまで自信をもたらす物はなんなのか。
 乃梨子が可南子さんの手元を覗きこむと、そこには――
 
(カッターで四角に切られた消しゴム――!)
 
 ちっせぇ! でかい図体のわりにやること小さいよ、可南子さん!
 
「くらいなさい――」
 
 可南子さんは手に砲弾をセットし、デコピンをするように指を丸めて撃鉄を起こす。
 その標準の向かう先は、祥子さま。この距離では、彼女は逃げられない――!
 
「はっ!」
 
 残影をもって宙を駆ける消しゴム弾。
 一寸の狂いもない弾丸の軌跡。
 避けられない、その暴力の牙――
 
「祥子っ!」
 
 その必殺の弾の前に、立ちはだかったのは――ヘタ令さま!?
 
 へにょん。
 弾丸が、彼女の額に命中する。
 明らかな、致命傷――なわけあるか。
 
「令……っ! 何考えてるのよ! 私を、私なんかを庇って!」
「かはっ! はぁ……いいのよ、祥子。由乃に会ったら、こう伝えて。あなたの姉の死に様は、立派なものだったって」
「令、令っ!」
「え? あれで死ぬの? っていうかどこが立派な死に様だよ」
「細川可南子……絶対に許さない」
「許さなければどうなるのでしょう?」
「……わたしゃこの展開が許せないよ」
「覚悟なさい」
「って! それガンですよチャカですよ火縄銃の進化型ですよ!? ご丁寧にも護身用ってシールまで張ってあるのに敵討ち用に使っていいんですかい!」
 
 諌める乃梨子の言う事も聞かず、祥子さまはガシャコと銃弾を装填した銃を可南子さんに向ける。
 そして――引かれるトリガー。
 避けることも庇うことも許されない、悪魔の刹那――
 
「あいたっ」
「ってエアーガンかよ! アホか!」
「二人とも、私のために争うのは止めて!」
「あんたも生きてんならもっと早く止めろよ! もうやだ、志摩子さーん!」
 
 志摩子さーん!
 
 志摩子さーん!
 
 志摩子さーん!
 
 ……
 
 

 
 
 一方、イタリア。
 
「……あ」
「どうしたの、志摩子さん?」
「今、乃梨子に呼ばれた気がして」
「はあ、惚気ですか」
「はっ……!」
「……で、由乃さんはどうしたの?」
「今、令ちゃんが私の事考えてた気がする」
「はあ、そうですか」
「で、祐巳さんは?」
「は?」
「今祥子さまは、何をしてると思う?」
「うーん……」
 
 祐巳はピサの斜塔を遠目に眺めながら、考える。
 そよ風が三人の間を流れた後、祐巳はゆっくりと口を開いた。
 
「きっと何食わぬ顔して、いつも通り紅茶を飲んでるんじゃないかな」
 
 姉を信頼するのは美しいことだが。
 祐巳のお姉さまは、そんなに強い人ではないのだった。
 
 
 
 
<オチてないまま終わる>
 
 

 
 
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