Title:『俺は東にお前は西に』   ...produced by 滝 #序章『騒音バス』  窓外を流れ行く景色は、加速度的にその流れを速める。  秋色に染められた街は、優しささえ湛えていた。  バスが揺れる度に、心まで弾むようだ。  いつだって、いくつになったって、こういう行事はわくわくする。 「え〜、こほん。……あー、あー」  スピーカーから聞こえる、ノイズ混じりの委員長の声。  どうやらみんなに囃されて、一曲披露するらしい。  俺の隣に座っている弘司は、目を細めながら耳栓をはめている。  “♪ちゃらら、ららら、たらら、たらら、たんたん……”  流麗なイントロが、バスを満たす。  曲に合わせて、今始まる。  修学旅行―― #第一章『紅葉、高揚、それは鹿用』  包み込むような赤に染まった街。  雄大で、寛容ささえ感じさせる奈良の大地。  バスから降りんとする俺に吹き付ける風が、俺達を歓迎しているように思える。  “じゃり……”  だが、踏み出された一歩は弱く、重心すら危うい。  俺は手が汚れる事も厭わず、バスのフェンダーらしき部分に手をつき、自身を支える。 「大丈夫?」 「まあ、何とか」  美琴が心配そうに俺の顔を覗き込む。  こんな姿を見せるなんて情け無いと思うが、頭と胸の中をグリグリ掻き回されているような不快感に見舞われている俺に、そんな事をかまっていられる余裕は無かった。 「直樹って、乗り物酔いするタイプだったんだな」 「違う……」  弱々しく弘司の言葉を否定する。  バスの揺れもこの症状の一因を担っているだろうが、本当の原因は他にあるのだ。 「言うならば……歌酔い?」  委員長は歌声。女だと言うのに無駄に低音がしっかりしていて、それをブーミングしまくっているバスのスピーカーが強調するものだから、腹の奥にズンズン響く。  その上あの下手なサックスのような外れに外れた音程で歌われたのだ。  俺じゃなくても、酔ってしまう。 「そんなに酷かったかなあ……?」  そんな俺とは正反対にしっかりと立っている保奈美は、顔に疑問符を浮かべる。  まあ保奈美のように、バスに乗る前から酔い止めの薬を飲んで置けば、三半規管を殺られる事もなかったんだろうけど。 「ま、そんな事より早く行こうよ。折角の自由時間がなくなっちゃう」  そんな事、で切り捨てられる俺の体調。  少し切ないが、美琴が焦る気持ちも分からないでもない。  何故ならもう目の前に若草山があり、すぐ近くに鹿の存在も確認できたからだ。 「メンバーはこれだけ? 秋山さんも誘わないの?」 「秋山さんは、弓道部の仲間と一緒に行くってさ」  きょろきょろと視線を巡らせる保奈美に、答える弘司。  修学旅行の日程は至ってシンプルで、一日目は奈良自由探索。  二日目は午前中に京都に移動してお寺等を回った後その日の宿泊先に向かい、そこからは自由行動。  校風に沿って、極力自由な時間を優先した内容となっていた。  そして今日の奈良自由探索はグループを組んで、要所に設けられたスタンプをしおりに押してくる事が義務付けられている。  その辺あまり自由な気はしないが、スタンプさえ押せば、後はどこへ行ってもいい。  壮大な若草山を目の前にして走り出さない美琴が不思議なくらいだ。 「さー、では張り切って参りましょう!」 「へいへい……」  4人固まって、紅葉舞う道を歩き出す。  そして嫌でも目に付くのは、鹿煎餅の売店だ。 「10枚150円だって。なおくんは買うの?」 「買わん」  私は買うけど、と言い添えた保奈美に、きっぱりと言い返す。  その値段が安いのか高いのかは知らないが、少なくとも自分が食べるわけじゃない。 「恩も義理もない鹿達に食料を奢ってやる気にはられないからな」 「ふ〜んだ。久住くんには鹿とのコミュニケーションよる精神的な価値が分かるわけないよーだ」  柄にも無く尤もらしい事を言う美琴。  その手には、既に鹿煎餅が握られている。 「いただきまーすっ」  “ばりばり……”  食べた。コミュニケーションがどうとか言っておいて、自分で食べた。  美琴の顔から、血の色が引く。 「ま……まず〜い……」 「天ヶ崎さん。それは鹿用だって」 「だって、食べさせる前に毒見しなきゃと思って……」  呆れる弘司に美琴は言訳をのたまう。  実際の所、食べてみたかっただけなんだろう。 「本当にこんなのあげて大丈夫なの?」 「大丈夫だよ。ほら」  そう言って保奈美は近くに寄ってきた鹿に煎餅を差し出す。  “ぱりっ、ぱりっ”  小気味良い音を立てながら、鹿は煎餅を咀嚼する。 「わあ、本当だ。じゃあ私もっ」  美琴は寄ってきた鹿に煎餅を差し出し、「ほ〜らほ〜ら」と言いながら鹿が食いつきそうになったら手前に引いて鹿の口を避ける。  何度かその動作を繰り返した後、フリスピーの要領で煎餅を投げた。  平行に近い放物線を描きながら煎餅は着地し、その近くにいた鹿がその煎餅を食べる。  当然、投げられてから走って行った鹿はそれに間に合うはずもない。 「それ、もう一枚っ」 「やめんかっ」  美琴の頭に軽くチョップを入れる。 「いったぁ、何するのよぅ」 「お前は何事も普通に出来ないのか?」  苦笑する保奈美と弘司。  何故か、鹿達も笑っているような気がした。 #第二章『美琴 A GO GO!!』  古いお寺。紅葉に彩られた道。  写真の中でしか見た事のない景色の中を、今“わたし”は歩いている。  わたしの隣には保奈美。後ろには久住くんと広瀬くんの姿もある。  4人でいればどこだって楽しいけど、今は修学旅行。  いやがおうにも、わたしのテンションは最高潮だった。 「あっ、あれがスタンプだねっ」 「うん、そうみたいだね」  わたしは正倉院と書かれた古い建物の袖にあるスタンプに飛びつく。  みんなには悪いけど、一番乗りでスタンプをぺタリ。  しおりの一ページに、黒い印が滲む。 「おお、これか。はい、ぺたんっ、と」  後から来た久住くん達もスタンプを押して、ここでの用事は終わり。  それよりもわたしは、早く行きたい所があった。 「さあ、どんどん行きましょー」 「天ヶ崎さん? そんなに急がなくても」  わたしは広瀬くんの言葉を「まあいいじゃない」と軽く流して、歩みを早める。  暫く歩くと塀が見えてくる。後はこの塀を伝って歩けば、目標の場所に着く。  奈良に行ったら絶対この目で見てやるんだと前々から思っていた、奈良の大仏までもう少しだ。  やがて見えてくる、大きな建物。  拝観料を支払い、敷地の中に入る。  白い石畳に目を細めながら、大仏殿と呼ばれる建物へ。 「うっわー……」  そして見上げた、奈良の大仏。  写真で見た通りの形で、写真とは違う圧倒的な存在感。  そしてその大仏が持つ、独特の雰囲気。  わたしはそれ以上、声が出なかった。 「なんだ、美琴はこれが見たくて急いでたのか」  そう言って呆れ顔を作る久住くん。  大仏の持つ雰囲気に引き込まれてしまったわたしには、それも外の世界の事のように思える。  暫く大仏を見つめる。わたしの視線の先にあるのは、ずばり大仏の頭の部分。  本当に日本人って、嘘偽りなく物を作ると思う。  確かに“彼ら”は悪い人達。“彼ら”は、居なくなる事を切望されている存在。  でも人々はこうして“彼ら”を祀る。だってそれは必要悪だから。  世間知らずと言われるわたしでも、“彼ら”が裏で日本を支えている事を知っている。 「美琴、大仏ばっかり見てて飽きないのか?」  久住くんは相変わらず呆れた顔で、大仏の周りをぐるぐる回っているわたしを見た。  この際だから、野暮だとは知りつつも、わたしは彼に尋ねて見る事にした。 「ねえ、久住くん」 「なんだ?」 「日本人って、みんなヤクザさんが好きなんだよね?」 「はぁ?」  久住くんは何言ってるんだコイツ、とでも言いたげな視線をわたしに向ける。  わたし、そんなに変な事言ったかな? 「だって大仏さん、パンチパーマだし」  わたしがそう言うと、それっきり久住くんは黙ってしまった。  見れば保奈美と広瀬くんまで困った顔をしている。  3人は私を余所に、目配せしあう。  そして、意を決したように久住くんはわたしの肩に両手を置いた。  彼は微笑み、優しくしっかりした声でわたしに言った。 「タルキスタンへ帰れ」 「酷いっ」 #第三章『とっても風流』  4人で甘味処に入った。  入ったと行っても外の席で、カフェテリアでいうところのオープンテラス。  少し風が吹き始めた所為か、外の席にはわたし達しかいない。  わたしの隣では“なおくん”が広瀬君としゃべりながら注文した品物を待っている。 「まだかなまだかな〜♪」  美琴は落ち着かない様子で注文した杏仁豆腐を待つ。  この半年の間で、彼女がどれほど杏仁豆腐を愛しているか、わたしはよく理解した。  新しい杏仁豆腐と出会う事が、彼女にとってどれ程刺激的かさえ、手に取るように分かる。 「お待たせしました」  やがて店員が現れ、わたしが頼んだ餡蜜を筆頭に次々と品物を並べていく。  ついさっきまでテレビの話題に興じていた広瀬君となおくんも、この時ばかりは黙ってしまう。  どうして店員さんがテーブルに来た時って、みんな黙ってしまうんだろう?  もしかしたら、店員と客のやり取りをスムーズにする為のマナーなのかも知れない。 「中々美味そうだな」  なおくんの言葉に、私の素朴な疑問は霧散していく。  店員は「ごゆっくりどうぞ」と言って下がっていった。  4人が口々に小さな声で「いただきます」といい、ティータイムが始まる。 「おっ」  餡蜜を一口食べたところで、突然なおくんが声を上げた。  なおくんの方を見ると、風に煽られて舞ったもみじの一枚が、なおくんのお茶の中に落ちてプカプカ揺れている。 「わぁ、風流だね」  なおくんの眼を覗き込む。  瞳の黒い部分に、わたしの顔が映る。  そこには、鏡では見た事もないような、明るい顔。 「そうだな」  もみじが入ってきた事に釈然としない顔をしていたなおくんも、表情を崩す。  なんだか照れくさくなって、二人ほとんど同時のタイミングで顔を逸らした。 「…………」  そこでわたしは自分を射止める眼差しに気付いた。  広瀬くんがこっちを見ている。  何故だろう?  その視線の中から、羨望とか、そういう類の物が読み取れた。  わたしが顔を上げるのと一緒に、彼は視線を目の前にあるぜんざいに戻す。  “ひゅうぅぅ……”  また風が吹く。  今度は少し強めで、枝が風を切る音を出した。  “ひらひら……ひらひら……”  沢山のもみじが宙を舞い、その内の何枚かがテーブルに落ちる。  薄茶色のテーブルは、鮮やかな朱色を強調する。 「あっ」  確認し得る限りで、一番最後まで宙を舞っていたもみじ。  その一枚は、不規則な軌跡を描きながら、広瀬くんのお茶に飛び込んだ。  彼は期待に満ちた眼差しで美琴の方を見る。  美琴は、彼に優しい微笑みを返す。  “さっ、さっ”  すると美琴は、何を思ったかテーブルに落ちたもみじを集めた。  全部で7枚。美琴はその7枚を、ごく自然に広瀬くんのお茶に入れた。 「…………」  開いた口が塞がらないといった様子で、ポカンと口を開ける広瀬くん。  “ひゅうぅぅ……”  また風が吹き、もみじが舞う。  そして宙で踊る一枚が、その口の中に入っていく。  その一枚は舌の先端に張り付き、自身をアピールしていた。 「風流だねっ」  美琴は飛びっきりの笑顔で、そう言った。 #第四章『アンチモラリスト・スーパースター』  部屋は絢爛というには素朴で、質素というには豪華過ぎた。  大理石で出来ているらしいテーブルは、“俺の対面に座った直樹”の表情を曇りなく映す。  俺は肘掛に腕を預けたまま指をテーブルに触れさせると指紋がくっきり浮かんだ。 「あー、面白いのやってないな」  直樹はそう言ってリモコンを投げると、畳の上に寝転がる。  この部屋は居間と寝室と分けられているらしく、俺達が居るのは居間。  裕に6人は寝れそうな、広い和室だ。 「そういや、もう一人のやつは?」  そう、この部屋は俺達二人には広すぎる。  本来は4人で泊まるはずなのだが、有り勝ちかつ不幸な事に一人は病欠。  この部屋には3人で泊まる事になっている。 「ん。ちょっと待て」  俺は早速縒れ始めたしおりのページをめくり、部屋の名簿を読みあげる。 「高砂の間、久住直樹、広瀬弘司、田辺栄三、五十嵐大吾」 「たしかダイゴローが病欠だったよな?」 「そう。何かの検査入院だってさ」 「ダイゴローもかわいそうに」  五十嵐大吾ことダイゴローは、何をやっていたのか検査入院。  どうせ拾い食いか何かだろう。同情するには、事実が曖昧過ぎた。 「で、タナベエは?」 「さあ、見てないな」  直樹の視線の先には、俺達のより二回り程大きな旅行鞄。  タナベエの鞄だ。  荷物が置いてあるという事は一度部屋を訪れているはずだが、鞄以外にその形跡は残されていない。  ちなみにタナベエという渾名は、苗字と下の名前の一文字をくっつけただけで出来たものである。 「ま、後から来るだろ」  そう言うと直樹は身を起こした。  そのままのそりと這い、肘掛付きの椅子に座る。 「それにしてもさっきの美琴は面白かったな」 「こっちにしては笑い事じゃな――」  “ばたんっ!”  その時だ。  扉が開け放たれたのは。 「田辺栄三、只今帰還いたしやしたっ!!」  舞う埃に映し出されるシルエット。  無駄に張りのある声。  間違い無い。奴だ。 「誰だ、こいつは」 「ヘイ久住ぃ。名乗りながら扉を開けたってのに誰だ、ってのはないだろう? ロウロウ?」  この誰もついていけないハイテンション。  タナベエはいわゆるお祭りバカであり、行事物になると異常に元気になる。  いつもは教室で寝ているだけで芥子粒程に目立たないくせに、体育祭になると大仏のお面をかぶって走り出すような奴なのだ。 「なぁ弘司。タナベエってこんなだったか?」 「ああ、こんなだ。いつもより気合が入ってるけどな」  小声で耳打ちしてくる直樹に、そう返す。  まあ修学旅行が三年に一度である事を考えると、タナベエのハイテンション具合にも頷けるような気がする。 「で、タナベエはさっきまでどこに行ってたんだ?」 「では作戦会議を始める」 「頼むから会話をしてくれ」  タナベエは俺の台詞をまるっきり無視すると、A2サイズの紙を取り出し、テーブルの上に広げる。  その紙は旅館の見取り図らしく、何故か露天風呂の部分だけがクローズアップされていた。  頼りない筆跡は、それが手描きである事を物語っている。 「諸君らも知っての通り、俺は露天風呂の調査を行っていた」 「いや、全然知らなかったっての」 「そもそも、どうして露天風呂を調査する必要があるんだ?」  タナベエは俺の疑問に鼻白む。  何を当たり前の事を聞くんだ?とでも言うように。 「どうして、って……そりゃあ風呂覗きの為に決まってんだろ?」 「待て、風呂覗きってなんの事だよ」  直樹は言いながらまあ落ち着けよ、とでも言うように備え付けの急須でお茶を入れ、タナベエに差し出した。  タナベエは湯呑を受け取ると、軽い口をさも重たそうに開く。 「なんの事だと? 風呂覗き程一義的な事を、今更敷衍しろとでも言オアッチャアァァッ!!」  余程興奮していたのか、タナベエはまだ喋っている最中だというのに、熱々のお茶を口に流し込んで自爆した。  コイツは折紙付きのバカだ。 「ひふぅ、ひふぅ……と、とにかく風呂覗きだ。修学旅行+露天風呂=風呂覗き。これ、1+1よりも簡単な事」 「なるほど、お前の脳味噌は1+1よりも簡単に構成されているのは分かった。俺は参加しないけどな」  直樹はその答えがタナベエにとって好ましくない事を知っているだろうが、極めて良識的な判断内容を告げた。  俺もそれに倣う事にする。 「俺もパス。バレたら謹慎は間違いないからな」 「え、何、お前らマジでイッテンノ?」  目を白黒させるタナベエ。俺達が誘いを断る事がそんなに意外なのだろうか。 「だって、なんか卑怯じゃないか? そんなこそこそ人の裸見るなんてさ」 「じゃあ俺達も全裸で特攻すっか?」 「そういう問題じゃねぇ。道徳観の問題だ」 「道徳か……だが俺は、人の三大欲求が道徳を上回る事を知っている。久住と広瀬よ。  お前らは天ヶ崎の裸が見たくないのか? 秋山は? 市原は? 木村は? 小林は?  佐藤の、須藤の、田原の、土山の、東条の、那須野の、野上の、藤枝の、北条の、  三河の、村田の、矢上の裸が見たくないのかよっ!?」 「タナベエ、それ、うちのクラスの女子全員じゃないか」 「待て、鬼塚さんと榊原さんは言ってないぞ。彼女達は服を着ている状態でも生理的に受け付けないからな」  限りなく失礼な事言ってのける。  もし件の彼女達が聞いていたら、握力60キロオーバーの手で以てアイアンクローをお見舞いされる事間違い無しだ。 「はぁ……とにかく俺は行かない。裸を見たくないと言ったら嘘になるが、一端の男として、風呂覗きはやらない」 「一端の男だと。ハッ」  頑として誘いを拒む直樹に、タナベエは憫笑する。 「……何がおかしい」 「その一端の男は、男のロマンも忘れちまったのか?」 「……戯言を」 「風呂覗きは一種のイニシエーションだ。それを余所に男とは、そっちこそ戯言だ」 「三大欲求が道徳を勝るような奴が何を言っても無駄だ」 「奇麗事は聞き飽きたゼ……」  そう言うとタナベエは度重なる齟齬に業を煮やしたのか、すっくと立ち上がる。  そして今度は薔薇を口に咥えていそうな、自己に陶酔しきった表情で言った。 「人は綺麗なままじゃ、生きていけないんだよ……」  一番言って欲しくない事を、一番言って欲しくない所で、一番言って欲しくない奴が言った。  俺は呆れて、義憤を覚える事さえない。 「……バカ?」 「もういい、腰抜けどもは誘わん」 「なんだと……今何て言った?」 「腰抜けだ。腰抜け。道徳とか、バレたらとか考えて、精神的な檻を抜け出せ無いキチャマらは腰抜けだ」  脳味噌が爛熟しきっているとしか思えない詭弁。  辟易する俺を余所に、直樹は不毛なダイアローグに熱されていた。 「言ってくれるじゃねぇか……」 「お、おい、直樹……」  直樹は俺の制止を振りきり立ち上がる。  その瞳の奥には、燃え盛る炎があった。 「いいだろう。やってやろうじゃないか!」 #第五章『サッカリン・スマイル』  作戦会議は難航していた。 「で、このコースがベストだと思うんだが」 「待て待て、このコースだと目標に辿り着くまで時間がかかり過ぎやしないか?」 「だが、ショートカットしようとすると赤外線センサーがある所を通らねばならない。  俺にはタバコをふかしながらセンサーを避けるなんて甲斐性はないぞ」 「なんと、そんな物が……」  もう随分と話し込んでいる。  俺の隣では済し崩しに参加する事になった弘司がつまらなさそうにテレビを見ていた。  テレビの中では芸人達が相変わらずの喜劇を演じているが、切羽詰った俺達にそれを笑っていられる余裕などない。 「さて、色々とプランは狭窄出来てきたが……久住、ここらで決めよう」  今まで見てきた中で、一番真摯な目をするタナベエ。  俺は無言で頷き、先を促した。 「俺はAコースを強く推す」 「俺はCコースだな。弘司は?」 「え? あー……Aコースで」 「よし、決まりだ」  弘司は間違いなく会議の内容を把握していたかったが、ここは民主主義の国。  多数決には逆らうまい。 「そうと決まれば……待ってろ天ヶ崎ーーっ!!」 「うおぉ、待ってろ保奈美ーーっ!!」  吠える男二人。  果てしなくワイディーだった。  “がららっ”  咆哮の残響が部屋を満たす中、不意に扉が開く。 「なおくん、呼んだ?」 「はへ……?」  振り返った先には、目標の姿。  目標は何故かもう浴衣を着ています、隊長。 「わたしの事も、誰か呼んでた?」  保奈美の肩越しに、髪をおろしているらしい美琴が顔を覗かせる  背中が嫌な汗に濡れるより早く、俺は携帯で時刻を確認する。  時刻は……21時10分……入浴時間はとうの昔に過ぎていた。 「バカなぁっ!?」 「久住くん、どうしたの?」  自分達はしっかりと風呂に入って浴衣に着替え、布団まで敷いているというのに、その後にある女子の入浴時間の事をさっぱり忘れていた。  タナベエの無駄に綿密な作戦内容とその説明に時間を要した事がこの事態の原因という事は明らかだが、奴のペースに釣られて忘れていた自分も悪い。 「はいはい、上がらせてもらうね〜」  愕然と膝をつく俺の心中など知る由もない美琴は、ずかずかと部屋に上がり込む。  「おじゃましまーす」と委員長の声も聞こえたが、いちいち確認する気力もない。 「はいはい、トランプ持ってきたから元気だそうね〜」 「う……うおおぉぉぉぉ……!!」 「うわっ、どうしたの? タナベエくん」  慟哭するタナベエ……男泣きだ。  それほどこいつにとって、風呂覗きの失敗は大きな悲しみらしい。  俺でも、その気持ちは少なからず理解できた。 「き、きっと天ヶ崎さん達が遊びに来てくれたのが泣く程嬉しいんだよ」 「ふーん。それじゃあ来た甲斐があるってもんね」  弘司がフォローを入れると、委員長は満足そうな表情を浮かべる。  何だか、堪らなく悔しくなった。 「はい、じゃあカードを配るね」  保奈美は素知らぬ顔でカードを配る。  まあ悔やんでも時間が戻るわけでもない。  気を取り直して、トランプに興じる事にする。 「で、何するんだ?」 「まずは定番のばば抜きで」 「小生は、罰ゲームの付加を進言します」  早くも立ち直ったタナベエは、妙な事を言い出す。  その目は、ギラギラと輝いていた。 「罰ゲームって、何するんだ?」 「負けたら一枚脱ぐ」 「却下ね」 「え〜、それはヤダ」 「それはちょっと……」  女性陣拒絶三連発。  タナベエは畳にのの字を書いた。  カリカチュアライズされた光景は、滑稽だったが、哀愁に満ちていた。 「ま、それはともかく、早速始めましょー」  美琴に促されて、保奈美によって配られたカードの前にそれぞれが腰を下ろす。  まだ誰の敷地とも決まっていない布団に、6つの窪みが出来た。 「それじゃ……じゃーんけーんぽんっ!」  積み重ねられていくカード。  6人の輪の中心に出来たその山は、ゲームの終わりが近い事を示唆している。  保奈美はどうしてこういう時まで完璧なのか、一番に上がり。  凄く悔しい事にその次はタナベエ、次に委員長、次に弘司……と言った感じで、つまるところ俺と美琴が最下位争いをしていた。 「さあ、久住くん……どっち?」  俺の手札は一枚。美琴は二枚。  一方を引けば勝利、一方を引けば敗北の危険性。 「さて、どっちにするかな……」  内心俺は勝利を確信していた。  心の機敏が顔に出やすい美琴に、ポーカーフェースが出来るとは思えない。 「……こっちだ」  言いながら俺は向かって右側にあるカードを掴んだ。  掴むだけで、実際引きはしない。 「…………」  美琴は意図して能面のような表情を浮かべる。 「……やっぱこっち」  今度は左側のカードを掴む。  その瞬間、唇の端が動いた事を俺は見逃さなかった。  なるほど、こっちがジョーカーか。 「俺の勝ちだ」  言いながら、最初に掴んだ右側のカードを引いた。  ……俺はこの時、美琴の唇の端が歪んだ事に気付かなかった。 「やったーっ! かかったーーっ!」 「何っ」  俺が引いたカードは……ジョーカー。  カードの中では、憎たらしい笑みを浮かべたピエロが玉乗りに興じている。  俺が……謀られた!? 「ふふっ、私達の戦略勝ちね」  そう言って委員長は悪戯っぽく笑う。  これは委員長の入れ知恵だったか。 「まだ勝ちと言うには早いぜ。俺はミスター・ノーメン(能面)と呼ばれた男だ」 「直樹、一回もそう呼ばれた事ないだろ」 「え? 久住のアダナって『絶倫王子』じゃないの?」  正しいツッコミを入れる弘司と間違ったボケをかますタナベエを無視し、二枚のカードをシャッフルする。  そして二枚とも裏を向けたまま、布団の上に置いた。  こうすれば自分でもどっちがジョーカーか分からないから、ポーカーフェースに勤める必要はない。 「さあ、どっちだ?」 「……こっち」  美琴は迷うことなく左側のカードを引いた。  引いたカードと、元から持っていたカードを顔の前で並べる。 「…………」  美琴は溌剌とした笑顔をともに、カードを投げた。 「あっがり〜!」 「のおぉぉぉぅっ」  敗北。 「なおくん、残念だったね」 「ま、運が悪かったって事だな」 「やっぱりみんなでトランプするのって楽しいわね」 「さあ、久住。脱げ」  みんな口々に慰めの言葉やらゲームの感想やらを述べている最中に、不穏当な発言が一つ。 「タナベエ、罰ゲームは却下されただろ?」 「女子は拒絶したが、男子はしてない」 「俺だってイヤだっての」 「ウホッ。ならば俺がっ。……はぁはぁ」  そう言うとタナベエは電光石火の勢いで帯の結び目を解き始めた。 (……コイツは危険だ)  そう思った俺は、タナベエが帯を外すより早く、その帯の両端を持って引っ張った。 「……ていっ」 「アガギャアァァッッ!!」  そしてそのままきつく結ぶ。 「ちょ、腸閉塞になっちゃうぅぅぅ」  田辺・ウインナー・栄三(リングネーム)を部屋の端に転がしてから振り返ると、保奈美と委員長は盛大に引いていた。  美琴はあははと笑っている。こいつは将来大物になる。 「田辺くんって、その……」 「……テンション高いわよね」  言いよどんだ保奈美の後を継いで話す委員長。  テンション高いの一言で片付ける事が出来たら楽なんだけど。 「そ、それより、次は何をする?」  弘司がその場を取り繕うように言う。 「小生は、神経衰弱を強く推す所存であります」  またもや早くも立ち直ったタナベエは、恐らく今までで一番まともな発言をした。  俺は「じゃあそうするか」と言い、カードの山を束ね、シャッフルする。  ある程度まぜたあと、布団にカードを散りばめた。 「では前回のゲームの勝者である保奈美から」 「うん、じゃあ引かせてもらうね」  第二ラウンド、開始―― #第六章『23時02分発、保奈美ヶ丘往き特急列車』  記憶力勝負のジャンルを選んだのが間違いだった。  この手の物は、保奈美と委員長に敵うわけがなかったのだ。  でもそれを認めるのが悔しくて再挑戦を挑む事十回余り。  保奈美は只今5連勝中。  言いだしっぺのタナベエは一番記憶力が悪かった。  だが負けっぱなしでも、得たものはあった。 「うーん……」  保奈美はカードの海に身を乗り出して考える。  記憶の引き出しを開け閉めしているのだろう。  俺はカードを見ているフリをして、全く違う所を見つめていた。 「これかな?」  タン、と手をつく。俺の“見つめる先”は切なく揺れる。  めくったカードはハートの2。その前にめくったカードはクローバーの2だから、これでワンセットだ。 「やった」 「ああっ、せっかく覚えたカードがどんどん取られてくぅ……」 「あはは……ごめんね美琴」  言いながら保奈美はカードを2枚手に取り、身を引いた。  同時に“見つめる先”は見えなくなった。 「うーんと……」  保奈美は適当にまだ裏返した事のないカードをめくると、また身を乗り出したまま思案。  いわば前かがみにも似たその姿勢。ならば男として着目するのはただ一つしかない。  言うならば……神秘の谷間と言ったところか。 「これ、かな」  タン、と手をつく。揺れる。カードを裏返す。また揺れる。  ポイントの高い事に保奈美さんはノーブラですよ奥さん!  とご近所さんにも知らしめたいほど俺は感動し、その動きに目と心を奪われていた。 「なおくん?」  だからだろうか。  保奈美がこっちを見ていても、そこを見つめてしまうのは。 「何でしょう」 「どこ見てるのかな?」 「胸」  しまったっ。思いっきり正直に!? 「ふーん?」 「あ、えっと、乳房」 「言い方変えただけだと思うんだけど」 「その……そう、美の双丘!」 「表現技法を変えても根本は変わってないよね?」 「あ、いや、双丘というより双山という方が事実にもとづいてるか?」 「ありがとう。でも怒るよ?」 「…………すいませんでした」  保奈美は身を引き、襟元をきゅっと締めてしまった。  ああ、さよなら俺の桃源郷。 「久住君……呆れたわ」 「直樹……お前は……」 「久住くんのえっち〜」 「久住ぃぃぃ。羨ましいぞチクソウメッ!!」  去った桃源郷の代わりにやってくるのは避難の嵐。  だが後悔はすまい。貴重な脳内ムービーが手に入ったのだから。 「これは茉理ちゃんに報告だからね」 「そ、それだけはっ」  これが茉理に知れたら毎日嫌がらせのように牛乳を飲まされてしまう!(乳にちなんで) 「保奈美、頼むからそれだけは……」  “♪ちゃーちゃっ、ちゃちゃー”  その時、場の空気なんて知ったこっちゃないといった風に俺の携帯がけたたましい音を立てる。  その音は、メールの着信を知らせていた。 「『巡回開始! 警戒されたし!』 ……斉藤からだ」 「斉藤くんから? どういう事?」 「つまり……」  “こんこん” 『入るわよー』  “がららっ”  遠くからノックの音と、恭子先生の声。  声の音量から察するに、隣の部屋での出来事らしい。 「巡回って……」 「そう、見回りが始まった」 「ちょっ、今何時!?」 「23時10分」 「消灯時間は23時だったよな」 「すぐに部屋に戻らないとっ」 「ダメだ、今行ったら先生に見つかる可能性がある」  矢継ぎ早に交わされる会話。  “ばたんっ”  扉の閉まる音。  まずい、もう時間がない。 「隠れろっ」  俺は小声で言いながら照明を消した。  そしてそのまま手近な布団にもぐり込む!  “こんこん” 「入るわよ」  恭子先生の声が、さっきよりもずっと近くで聞こえる。  体勢を立て直そうと動くと、その布団には先客がいる事が分かった。  “がららっ”  扉の開く音。  俺の手には柔らかな感触。  これは……この展開はっ!! #第七章『索敵! 恭子先生!』  23時00分――  “私”は廊下を歩いていた。  旅館ともホテルともつかない上品な佇まいを見せる廊下には、微々たる音量でクラシック音楽が流れている。 「私、養護教諭なのに……」  ぼやく私に返ってくるのは、スリッパの音だけ。  クラスの担任を持たない私でも、当番制で見回りの仕事が回ってくる。  消灯時間になっても起きてる生徒がいないか、全ての部屋をまわって確かめるのだ。  “こんこん”  『すいせんの間』と書かれた扉をノックする。  中からバタバタと慌しい音がした。 「入るわよー」  “がららっ”  私はさっさと仕事を終わらせたいがために、返事を待たずに扉を開いた。  部屋はまだ明るい。そして果てしなく汚い。  まったく、どうしたら数時間でここまで散らかせるのかしら。 「に、仁科先生っ」 「あわわわ……」  部屋にいた男子学生達は、慌てて物を片付けだす。  薄い本を布団の下に隠したところを見る当たり、どうせ秘蔵のH本鑑賞会でも催していたのだろう。  そんな事をいちいち咎める気になれない私は、早々に点呼を取る事にする。 「はい、点呼いくわよー、斉藤」 「は、はいっ」 「小岩井」 「ははは、はいー」 「鴻巣」 「へーい」 「ジョンイル」 「先生、何で僕だけアダナで呼ぶんですか」 「はい全員いるわね。早く寝なさいよー」  後ろ手に手を振りながら部屋を出る。  さあ、この調子でさっさと終わらせよっと。  23時12分――  次の部屋は、『高砂の間』 「……久住達の部屋ね」  人畜無害に見えて、一番怪しいのがこの部屋。  あれだけのカワイコちゃん達(死語)をはべらせておいて誰とも付き合っていない久住。  そろそろ相手を絞ってきそうなものだけど……もしかしたら今夜キメる(これも死語)つもりかもしれない。  ふふっ、悪いけどエレガンティスト養護教諭として不純異性交遊は認めないわよ。  不純じゃなかったら見逃すかとか、そういうつもりも無いけど。  “こんこん”  返事は無い。 「入るわよ」  “がららっ”  自分でも分かるほど活き活きと扉を開く。  意外な事に部屋の照明は消され、目の前は真っ暗。  だけど……だからこそ怪しい。 「……点呼を取るわよ。久住」 「……はい」 「広瀬」 「はい」 「タナベエ」 「なんだい子猫ちゃん?」 「…………」  無視する事にした。  そう、ここからが勝負。 「藤枝」  “しーん”  藤枝ではないとしたら……いや、居たとしても返事をするとは思えないけど。 「天ヶ崎」 「…………いませーんっ」  天ヶ崎の声。まさかかかるとは……。  でもここは現行犯逮捕よ!  “かちっ”  照明をつける。  たちまち光に暴かれる部屋の様子。  敷かれた三つの布団の中で、一つだけ山が大きい布団。  ホシはここね……。 「…………」  にじり寄る。  布団を掴む。  いっきに引き剥がす!  “ぶわさっ”  布団が宙を舞った。  その先にあったものは……。 「きょ、恭子先生っ、これはっ!!」  『久住』が、『広瀬』に抱きついていた。 「まぶし……っておい、直樹。何で抱きついてるんだよ!?」  『久住』が、『広瀬』のお尻を握っていた。 「うおぉっ、なんでお前がいるんだぁっ!!」  『久住』が、『広瀬』の太ももに頬を寄せていた。  しっかりと強く(So tight...)  愛しげに(Love me...)  絶対に離さないぞと言わんばかりに!(Forever!!) 「恭子先生、違うんですっ」  ふと走馬灯の様に、思考の端に久住の顔が浮かんだ。  私の事を初めて『恭子先生』と呼んだ時の、屈託の無い笑顔。  カフェテリアで暇そうにしている時の、ボーっとしてる顔。 「仁科先生、あの、これはですね……」  天文部の部長を務める広瀬。  私と話をする時に見せる、真摯な顔。  カフェテリアで仲間達と談笑している時の、優しい顔。 「あああ、あんた達……」  そんな二人の顔が、天文部席で笑いあっている二人の顔と重なる。  そう……あれだけの美少女達をはべらしていながら手をつけなかったのは、こういう事だったのね……。 「おいお前ら! 俺の為に争うのはよすんだ!!」 「しかも三角関係!?」 「タナベエッ! お前は黙ってろっ!!」  異性交遊じゃなくて、『同性交遊』の時はどうすればいいんだろう?  いや、規則がどうこうじゃなく、私個人としてはどうするべきなんだろう?  そんなの……答えなんて決まっていた。  私はゆっくりと膝の皿を布団に着地させ、久住の手と広瀬の手を握る。  そして、その手を重ねた。 「久住、広瀬……私は分かってるわよ」 「恭子先生……」 「仁科先生……」  二人は安堵したように私を見る。  そんな二人に私は微笑みを浮かべ、力強く言った。 「お幸せにね……先生応援してるからっ」 「え? あ、ちょっ、恭子先生っ!?」 「それじゃっ」  私は早足に出口に向かう。。  後ろで何かわめいているけど、あえて聞かない事にした。  “ばたんっ”  扉を締めたところで、ふと違和感を感じた。  なんだろう、何か大切な事を見逃したような……。 「……まあいっか」  私はさっきの事は誰にも口外するものかと自らに誓い、高砂の間を後にした。 #第八章『ぶっちゃけお前は誰が好き? in 高砂の間』 「じゃあ、また明日っ」  そう言って女子達は、愕然と膝をつく二人を背に、部屋を後にした。 (グッバイ、マイエンジェルス……)  心中でそう呟き、部屋を見る。 「…………」  久住と広瀬は相変わらず呆然としていた。  空気が重い。声を出し、空気を振動させるには、余りにも重い。  だが、ここは何か言ってやるべきなのを、俺は本能的に察知していた。 「二人とも……」  ゆっくり声を絞りだす。  二つの顔が俺に向けられる。 「悪かった」 「は? 何でタナベエが謝るんだ?」 「無理に風呂覗きに誘おうとして悪かった。お前ら、女には興味無かったんだな」 「お前まで勘違いしてんのか!」  なんだ、違うのか。  だとしたら、どうしてあんな誤解を招くような真似をしていたんだろう。 「じゃあ女の方が好きなんだな?」 「「当たり前だ」」  見事に二人はハモった。  だがそれをただの肯定として聞き流す俺様ではない。 「じゃあ聞くが久住よ。ぶっちゃけお前は誰が好きなんだ?」 「お、おいおい、いきなり何だよ」  うろたえる久住。  大体にして、あれだけの可愛いコと仲良くしておいて好きなコがいないワケが無い。  もしかしたら、もう誰かと付き合ってるのかも知れない。 「だから、好きなコだよ。いんだろ?」 「いないって」 「嘘だ」 「というか、そう言うのって、まず言いだした奴が最初に言うんじゃないのかよ」 「なるほど、それは一理あるな。実は俺……」  二人の視線が俺を射抜く。  視線を集めると、ボケなくてはいけないような気分になる。 「実は俺…………100年後から来たんだ!」 「はあ? 何バカな事言ってんだお前は。大体話変わってるだろ」 「本当だ! 100年後の未来では人口が増えすぎて、過去に避難してきたんだ。  これを『オペレーション・産苦つわり』と言う」 「だれが信じるか、そんな話」 「タナベエ、いいから話を戻せよ」  ちくそう、誰も信じてくれやしねぇ。  まあいい、ちょっとしたジョークだし。 「いいだろう。俺の好きなコは……藤枝だ」 「……マジで?」 「あと天ヶ崎」 「……おい」 「それと小林、須藤」 「何人いるんだよ」 「可愛いコはみんな好きだ!」  グッと親指を立てる。  これは本心だ。アイ・ラブ・プリティー。 「さあ、俺は好きなコを言ったぞ。次は久住の番だ」 「そんな事言ってもなぁ……」 「俺の予想じゃ藤枝か天ヶ崎だと思うんだが」 「確かに仲は悪くないと思うけど、好きかと言われるとなぁ」 「ええい、はっきりしない奴め。じゃあ一番身近なのは誰だ? そいつがお前の嫁さん候補だ」 「身近か……茉理」 「え、それって、一年の渋垣茉理の事か?」 「そうだ」 「なんで一番身近なのが一年のコなんだよ?」 「だって……一緒に住んでるし」  ……俺は今凄い事を聞いた。  教室じゃ学年1、2を争う可愛いコちゃんをはべらし、その上今年の新入生で一番と名高いコと同棲してるなんて。  敵だ! 敵がここにいる! 「オレ、オマエ、コロス!」 「のわっ、タナベエが暴れだしたっ」 「ヴァー!(咆哮)」 「もがっ」  俺は枕を投げた。力の限り投げた。  この世のモテナイ君を代表して、力投した。 「やりやがったな、このっ」 「いってぇ! いいだろう。青春デスマッチ、受けて立つ!」 「お前らなぁ……」 「一人だけ達観してるのは禁止だ! くらえ広瀬っ!」 「うわっ! やったな、タナベエッ」 「ほらほら、どうしブッ!」 「弘司、ナイスショット!」 「むっきぃ! 許すまじっ」  こうして、夜は更けてゆく―― #第九章『ぶっちゃけお前は誰が好き? in ももの間』 「じゃあ、早く寝なさいよー」 「はーい、おやすみなさ〜い」  天ヶ崎さんがそう言うと、見回りにきていた桜井先生は優しく微笑んでから扉の向こうに消えた。  3人同時にふぅ、と息を吐き、後ろ手に両手をついて天井を仰ぐ。 「ギリギリだったね」 「はぁ、寿命が縮んだわ」  私達は何とか見つからずに久住君達の部屋を抜け出した後、部屋に戻ってきていた。  幸いこちらはまだ見回りを始めていなかったらしく、何とか先生が来る前に戻ってこれたのだ。 「それにしても、ドキドキだったね〜」 「天ヶ崎さんのお陰でね」 「あはは……ごめんごめん」 「まあ、見つからなくて良かったよね」  天ヶ崎さんは私のジャブにしょげる様子もなく、暢気に笑う。  彼女ときたら、折角隣の寝室に隠れたというのに、仁科先生の点呼に反応してしまったのだ。  何があったのか見つかる事はなかったけど、本当にヒヤヒヤした。 「でも、楽しかったね〜」  言いながら天ヶ崎さんは布団に倒れこんだ。  バフッと音がして、布団は彼女を優しく受け止める。 「そうだね、みんなでトランプするなんて久しぶりだったし」 「ええ、明日もできるといいわね」  言った後私はぐっと伸びをして、そのまま布団に倒れた。  寝て周りを見ると、本来4人で泊まるはずだった部屋は私達3人には広すぎる事が良く分かる。  私達の部屋は、久住君達の部屋と同じく、病欠で一人欠けているからだ。 「はー、喉渇いたー……よっと」  天ヶ崎さんは身を起こし、布団の隣に置いてあった鞄を漁る。  さっきから彼女は動いてばかりだ。  ガサゴソと荷物をかき分け、彼女はペットボトルを二本取り出した。  一方にはジュース。もう一方には透明の液体。 「どうして二本も?」 「まあまあ」  そう言って天ヶ崎さんはジュースに透明の液体を混ぜた。  見た目にはなんの変化もない。 「ジュースが更に楽しくなる水、って久住くんが言ってた」 「それ、なおくんに貰ったの?」 「うん」  ジュースが楽しくなる、って意味が分からない。  そんな怪しすぎるキャッチコピーを気にもせず、天ヶ崎さんはそのジュースを飲んだ。  まさか、毒という事はないと思うけど。 「う〜ん、何が楽しいのか分かんない」 「久住くんにかつがされたのよ」  私はそう言うと、天ヶ崎さんに倣って飲み物を飲む事にした。  ぬるくなったお茶を取り出し、口に含む。水分が口腔に吸い込まれるような感覚が心地よい。 「そうかなぁ……ねえ、秋山さんも入れてみる?」 「私はいいわ。どうせただの水だと思うし」 「まあまあ、秋山さんなら楽しくなるかもしれないし、ね?」 「楽しくなるって、何か危険な響きじゃない?」 「まあ騙されたと思って、一ついっときましょうっ」 「わ、分かったわよ……」  私は押しに負けてお茶が入ったペットボトルを渡す。  その中に透明の液体が流し込まれていくのを、藤枝さんと二人で心配そうに見る。 「さっ、次は保奈美の分も」 「ええっ? わ、私はいいよ」 「ここまで来たらみんなで騙されよー」 「しょうがないなぁ」  渋々藤枝さんも飲み物の入ったペットボトルを差し出す。  注がれていく、透明の液体。 「では二人とも、グイっと」 「大丈夫かなぁ」  僅かな不安を覚えながら、ペットボトルに口をつける。藤枝さんも、それに然り。 「…………?」  奇妙な味がした。  しかも、なんか辛い気がする。 「これって、リキュール?」  それを聞いてはっと気付く。  そうだ、これはお酒の味。  どうしよう、私お酒弱いのに……。 「なるほど、だから楽しくなるんだね〜」 「納得してる場合じゃないわよぉ……」  どうしよう。  委員長たる私が、行事中にお酒を飲むなんて。  しかも私は酔っ払った時の記憶がない。  これはとても危険だ。 「あはは、確かに楽しくなってきたかも〜」  どんどん顔に血が上ってくるのが分かる。  意識が朦朧としてくる―― 「秋山さん、大丈夫? 目が据わってるけど」 「あはははは! 大丈夫だいじょうぶ!」  気分はファンキー!(モンキー!)  お酒っていいものだわ! 「あはは、秋山さん、相変わらずお酒弱いねー」 「そういう美琴も顔が赤いわよーっ」  何故か呼び捨て。  でもいいの。今日は無礼講だから。 「二人とも……」 「何よ保奈美ー、ノリが悪いわよっ」  バシバシと背中を叩く。  困ったような顔してるけど、お酒が回ればどうとでもなるわ。 「さーみんなー、注目ー」 「何? 秋山さん」  二人が私をみる。  ああ、視線が気持ちいいわぁ。 「今日はぁ、修学旅行ですっ」 「はーい、知ってますっ」 「はい、美琴は元気がよくていいですねー。そこでです。修学旅行の夜の話題と言えば……もうお分かりですねー?」 「ひょっとして……好きな人の話とか?」 「正解ー」  分かってるじゃないの。  流石保奈美ね。 「はい、という事でまずは保奈美の好きな人の事からいってみましょー」 「ええっ!? わ、私は……」 「いないって事はないよね?」  美琴と二人で顔を覗き込む。  この反応は、いるって事よねっ。 「質問を変えましょー。保奈美が『男の子』と聞いて一番に思い浮かべるのは誰?」 「えっと……なおくん」 「なるほど、保奈美は久住君が好きなのねっ!」  保奈美の好きな人情報ゲット!  ついでに○ケモンもゲット!(気分はグッド!) 「え、ちょ、ちょっと待ってよ。わたしは……」 「じゃあ違うの?」 「それは……違わないけど」 「ツケモン、ゲットだぜー!」 「あはは、秋山さん錯乱ちゅー」  どんどんテンションが上がってくる。  お酒、お酒が足りないわっ。 「おっ、秋山さんいい飲みっぷりだねー」 「秋山さん、そんなに飲んだら明日に響くよ」 「いいのよ、今日はマハラジャなんだから」 「おっけー、私も今日はマハラジャ!」 「あっ、美琴まで……」  グイッともう一口。  飲まずに委員長なんかやってらんないっての。 「美琴っ…………マハラジャー!」 「マハラジャー! きゃははははっ」 「二人とも……意味が分からないよ」 「さー、次は美琴の番っ。好きな人は?」 「ええっ、わ、わたし?」  うろたえる美琴。  これもいるって事で間違いないわねっ。 「……秘密」 「なんでよー、じゃあ『男の子』と聞いて一番最初に思い浮かべるのは?」 「おむつのCMに出てくる男の子」 「…………美琴ってショタコン?」 「ち、違うよっ」  まあ、巷じゃショタコンブームだしねー。 「そ、そういう秋山さんはどうなの?」 「私? ……言えない」 「ずるいー! じゃあ『男の子』と聞いて思い浮かべるのは?」 「小さい頃のお父さんが写ってる写真」 「…………秋山さんってファザコン?」 「違うわよっ」  何か、会話がループしてる。 「私は美琴が言ったら言うわよ」 「わたしは秋山さんが言ったら言う」 「…………」 「…………」  見つめ合い、押し黙る。  視線の応酬が場を支配する。 「好きな人言ったのって……わたしだけ?」  ボソリと保奈美。  夜は更けてゆく―― #第十章『索敵! 結先生!』  朝。  私はセットした目覚ましの時間より早く起きた。  外はもう明るく、きっと空には月の残滓が浮かんでいる事に違いない。  寸刻、ここがどこだったか逡巡し、修学旅行中だった事を思い出した。 「かー……くー……」  私の隣では、“同僚の恭子”が眠りの女王の地位を簒奪している。  昨晩、彼女は見回りを終えた後、半ば自棄酒のように飲酒した。  私もそれに付き合っていたけど、彼女は薔薇がどうのこうのと、良く分からない事ばかりぼやいていた。  ちなみに薔薇には花の名称の他にも意味があり、男性同士が愛し合っている様の事を言う。その反対は百合。  百合は男性に好まれ、薔薇は女性に好まれるらしい。(以前恭子がそう言う本見せてくれた。直視出来なかった)  ……って私は何を説明してるんだろう、  “ぱかっ”  コンパクトミラーに、かんばせを映す。 「うわぁ……」  随分眼窩の血色が悪い。  それは昨晩の夜更かしの後胤以外の何物でもなかった。 「はぁ……」  深い溜息。  だけどブルーになっていても仕方ない。  暫くしたら、生徒達を起こしに回らなければならないのだ。 (今日も一日頑張りましょうっ)  私は心中でそう自分を励ますと、早々と身支度を整え、森閑とした部屋を後にした。  私は『高砂の間』と書かれたプレートの前に立つ。  エアコンの効いた廊下は秋冷えを感じさせない。  “こんこん”  返事は無い。  まあそれはプレートの下に貼り付けてある名簿の名前を見れば得心のいく事だけれど。 「入りますよ〜」  “がららっ”  一応、声をかけてから中に入る。  そして部屋の中に入って一番最初に見た光景に、私は言葉を失った。 「がー……ヘ〜イ、ハニーカモーン……オゥイェー……んごー」 「保奈美〜そこは……うっ、美琴、上手だよ……ぐー」  久住君と田辺君が抱き合っていました。 「マドモアゼール、カキマゼール、ウホッ! ……んごー」 「ちひろちゃんのお花……綺麗だよ……茉理の栗は美味しそうだなぁ……ぐー」  ふと昨夜の恭子の言葉が脳裏に浮かぶ。 『薔薇って、実際それほど美しいものじゃないわ……』  なるほど、確かにこれは薔薇というよりプロレスだ。  “♪ぴろりろりーん”  もう一人のこの部屋の住人である広瀬君は、携帯電話のデジタルカメラ機能で二人の姿を捉える。 「あ、先生。二人は俺が起こして起きますから」  笑みを浮かべながら夢境を彷徨っている二人は無辜だ。  幸せそうな二人の邪魔をする程、私の心は脆化してはいない。 「そ、そうですか? ……お願いしますね」  そう一言だけ言って、私は部屋を後にした。 #第十一章『TONTI FIGHT!!』  今朝の目覚めは最悪だった。  目が覚めたら、視界がむさ苦しい男の顔のドアップで満たされていたのだ。  更には抱きついてきているのだからタチが悪い。  思わずしたたかに殴ってしまった。  タナベエはそれから30分くらい目を覚まさなかった。  そんなワケで、朝食を食べ、バスで移動し、見学地についても尚、気分は優れないのだ。 「うわー、ホントに金一色だ〜」 「うん、最近張りかえられたばっかりらしいからね」  感嘆する美琴に、保奈美が注釈を加える。  今日の午前中は京都府内のお寺巡り、ということで、俺達は金閣寺に来ていた。  陽光の中輝く金閣寺と、それと映し出す寺のまわりの池が眩しくて、俺は目を細める。 「金閣寺は、西園寺公経の別邸を足利義満が譲りうけたもの……なんだよね?」 「おっ、美琴、よく知ってるじゃないか」 「えっへん」 「しおりに書いてあるけどね」 「広瀬く〜ん、それ言っちゃダメだって〜」 「そんな事だろうと思った」  肩をすくめ、苦笑。  なんだかいつも通りで、すこし気分張れた気がする。 「足利義満って言えば、一休さんにとんち勝負を挑んだ人だよね?」 「ああ、『このはし渡るべからず』とかな」 「端がダメなら真ん中を歩く、ってやつだねっ」 「とんちっていうより屁理屈だよな、アレ」 「あはは、そうかも」  暢気に笑う美琴。  彼女は知っているのだろうか?  一休さんは相当のプレイボーイで、全国各地で子供をもうけていた事を。 「他には『屏風に描かれた虎を捕えてみせよ!』とかあったよね」 「ああ、一休さんが『寝言は寝て言えこのハゲ!』ってキレたやつな」 「えー、そんな話じゃないよー」  それにどっちもハゲだしな。 「『じゃあこの虎を屏風から出して下さい』って言ったんだよ」 「そうそれ! 流石保奈美だねー」 「保奈美、そこはボケるところだぞ」 「どういう風に?」 「『ご安心ください、きゃつめはもう息をしておりません』とか」 「つまんなーい」  何気ない美琴の一言が俺を突き刺す。  だがこれぐらいで挫ける俺ではない。 「じゃあ屏風に縄の絵を書き足した、とか。しかも亀甲縛りで」 「なおくん、亀甲縛りって何?」 「あー、えーっと……やってみるか?」 「うん、やってみて」 「はいはーい、よってらっしゃい見てらっしゃい。久住くんによる亀甲縛りの実演でーすっ」 「バカッ! 美琴っ、冗談だって!」  美琴の声に、訝しげな視線を向けてくるクラスメイト。  もしかして美琴のやつ、意味分かってて言ってるんじゃないだろうな。 「今なんか微妙にエロい単語が聞こえたっ」 「タナベエはすっこんでろ」 #第十二章『BI・MYO・U!』  今日のお寺巡りとして、一番最後にわたし達が訪れたのは清水寺だった。  当然お目当ては清水の舞台で、みんなぞろぞろとやってきては、一度足を止める。  絶壁に建てられたお寺から見る景色は壮大で、下を覗きこめばぞっとした。 「うわー、地面があんなに下にあるよー」 「美琴、そんなに身を乗り出したら危ないよ」 「えっ、あ、うん」  保奈美は優しくわたしの肩を押さえる。  わたしは何だか自分が落ち着きのない子供のように思えてきて、少し情けなくなった。 「美琴、ダイブ!」  そんなわたしの気分を知ってか知らずか、隣で成り行きを見守っていた久住くんがムチャな事を言い出す。 「久住くんが見本見せてくれたらね」 「バカな、そんな事をしたら死んでしまう」 「だったらどうしてわたしに言うの?」 「美琴なら飛べそう。落ちてる時に翼が生えたりして」  一体久住くんはわたしをどういう目で見ているんだろう。  はぁ、と心中で額を押さえると、みんなが移動を開始した事に気付く。  わたしは置いていかれないよう、舞台下に行くための階段に吸い込まれていく人並みに身を投じた。  音羽の滝で手を洗ったり、竹細工の店を覗き込んだりした後に辿りついたのは地主神社という場所。  なんでも、縁結びの神さまのいるところらしい。  そう言えば、何となく他の神社と言われる建物より華やかかもしれない。  縁結び……えんむすびかぁ……。 「どうした美琴? おみくじ引かないのか?」 「え? あ、引くよ、引くっ」  久住くんに言われて見れば、保奈美も広瀬くんも薄っぺらい紙を持っていた。  おみくじ……実は引くの初めてだったりして。 「お願いしますっ」  “バシッ”  気合十分、勘定台に百円玉を置く。 「? はい、どうぞ」  店の中の巫女さんは少し当惑した様子で、わたしに六角柱の筒を差し出した。  筒の一部分には直径一センチもないような穴が空いている。 「…………」  こんな小さい穴から“おみくじを引く”?  一体どういう手をしていたらこの穴に手がはいるというんだろう。 「美琴、何してんだ? 早く引けよ」 「久住くん……そのぉ……」 「どうした? 引き方分からないとか?」 「あはははは……」  照れ笑い。  だってしょうがないじゃない。  向こうじゃお御籤引いてる程の余裕なかったんだし。 「まあ海外暮らしじゃおみくじ引く時なんてなかっただろうしな。よし、メモの用意!」 「はっ、隊長!」  わたしは敬礼した後、ポーチからメモ帳を取り出す。 「一、筒を振る。二、出てきた棒を巫女さんに渡す。三、おみくじの結果を貰う。以上」 「隊長、質問がありますっ」 「なにかね?」 「メモを取るほど難解な作業ではないと感じましたが」 「バカもの。メモを笑う者はメモに泣くのだ」 「ははぁ〜……」 「天ヶ崎さん、早く引かないと」  広瀬くんに言われて筒の方を見ると、巫女さんがぽつねんとしていた。 「す、すいませんっ」  慌てて筒を振り、出て来た棒を巫女さんに渡した。  巫女さんは棒に書かれた番号を見て引き出しを探す。 「ねえ、久住くんは何だったの?」 「俺か? 大吉。願い事、慎重に行動すれば叶う。進学、精進努力せよ 望みあり。待ち人、来たる。  就職、良識あり。恋愛、積極的に行動すれば発展する。結婚、佳き人と結ばれる。  病気、苦しむが早く治る。家庭、共に慈しみ 築きあげよ。事業、繁盛する 欲を見せるな。  相場、運あり。……だってさ」 「うわー、いいなー」 「お客さーん」 「あ、はいはいー」  言われて振り返ると、巫女さんが薄い紙をわたしに差し出していた。  わたしはわくわくしながらその紙を受け取り、書かれた文字を見る。  そこに書かれていたのは……。  『微妙』 「なんだこれ、微妙って」 「さあ? わたしおみくじ引くの初めてだから分かんない」 「何なに……願い事、叶うかも。進学、努力次第。待ち人、来る予感。就職、ちょっと厳しい。  恋愛、そこそこ。結婚、マリッジブルー。病気、流行病に注意。家庭、円満っぽい。  事業、繁盛しかけ。相場、運がありそうで無い」  みんなは運勢の書かれた紙を木の枝に結んでいたけど、わたしは捨てた。 #第十三章『お好み焼き狂詩曲 -BAKUDAN MIX-』  なんでも、お好み焼きは京都が発祥の地らしい。  そういう訳で、今日の昼食は学年全体でお好み焼き。  この場に茉理ちゃんがいたら、飛び跳ねて喜びそう。 「まだかなまだかな〜」  わたしの前にすわった美琴は、香ばしい匂いの発生源を見つめていた。  蓮美台の生徒でいっぱいになった店内は、もう煙で視界が霞むほど。 「はい、できたよ」  わたしは出来たお好み焼きを切り分け、美琴のお皿に乗せた。  美琴の表情が綻ぶ。 「さんきゅー保奈美っ」 「なおくんは?」 「いや、俺はいい」  さっきまで「腹減った」とばかり言っていたなおくんは何故かお好み焼きを辞退する。  どうしたんだろう。一番にお皿を差し出してくると思ってたのに。 「そう? いただきまーす」  気にしていても仕方がないと考え、わたしは焼きたてのお好み焼きを口に運ぶ。  鼻腔を駆け上がってくる鰹節の香りに、濃厚なソースの味わい。 「…………!?」  そして涙腺までをも刺激する、ツーンとしたワサビの風味。  見れば美琴も、涙目になっていた。 「ふははは! かかったな!」  高らかに笑うなおくんに、横で呆れる広瀬くん。  そんな二人の姿も、涙に霞んでいく。 「なおくん……」 「久住くん……」  嗚呼、わたしのお好み焼きが……。  調合をなおくんに任せたのが間違いだった。  激しい後悔の念がせり上がってくる。 「保奈美……レッツ、リベンジ」 「え?」  何とか治まってきた涙越しに美琴を見ると、彼女は調味料の入った小ビンを持っていた。  彼女の目に宿っているのは、復讐の炎。 「でも……」 「ダメだよ、甘やかしちゃ。目には目を!」  美琴はそういうとまだ鉄板に流し込んでいなかった材料に次々と唐辛子やラー油、それにどこにあったのかカキ氷用のシロップを入れた。 「み、美琴っ、何をっ」 「うえ、あ、天ヶ崎さん!?」  わたし達のテーブルに置いてあった材料の全てがその対象となり、素知らぬ顔で彼女はそれらを鉄板に流し込んだ。  彼女は知っているんだろうか。それらを食べるのは、わたし達だという事を。 「身を以って、絶品お好み焼きをお楽しみくださいっ」  平和な昼食は、過去のものとなった。  わたしは落胆しながらも、食料型爆弾達を焼く。 「ねぇ藤枝さん。ちょっといい?」 「あ、うん、何?」  そしてそれらが焼きあがる頃、クラスメイトの一人に話しかけられる。 「お好み焼き、うちのテーブルのと交換しない?」 「あ、こっちも交換きぼー」 「わぁ、藤枝さんの焼いたの食べてみたーい」 「おう、どんどん交換しようぜ!」 「え、ちょっ、なおくんっ」  わたしが答えるより早く、なおくんは交換希望を快諾する。  止める暇も無く、次々と交換されていくお好み焼き達。  みんながそれをテーブルに持ち帰っていく光景は、ばら撒かれていく爆弾を思わせた。 「うわぁ、このお好み焼き緑色してる。健康によさそう」  緑色を野菜が多く入っていると勘違いしたのか、そんな声が聞こえた。  違うの、木村さん。それは野菜じゃなくてメロンシロップなの。  わたしは耳を塞ぎたくて仕方がなかった。 「……な、なにコレェ」 「辛ぇ! このお好み焼き辛ぇよ!」 「口がヒリヒリするー!」 「ムギャアァァ!!」  そして各所で食料型爆弾が炸裂する。  さながら空襲のようであり、無差別テロのようでもあった。 「んがっ、何だこれは!」  そして今度はなおくんが異常を訴えた。  なおくんの箸には、『田辺』とかかれたスリッパが挟まれている。 「あいつ……後で消す」  なるほど、悪戯を仕掛けるのは決してなおくんだけではなかったという事か。 「辛ぇー、辛ぇよー!」 「なんか変な味〜」 「水ー! みーずー!!」 「魔物が出たぞーー!」 「おいどんのピュアーがー!」  見渡せば、店内はもう阿鼻叫喚の地獄絵図だった。 「…………」  わたしの目の前には、何故か黄色いお好み焼き。  わたしは覚悟を決めて、お好み焼きを口に運んだ―― #第十四章『天空の白』  地獄のような昼食を終え、午後から自由行動だ。  一度旅館に行って荷物を置いてきた。  旅館は京都の繁華街『新京極』に歩いて行けるほど近くにあったので、多くの学生に漏れず、俺達もアーケードの下に立っている。 「後輩のコ達に、お土産買っていかなきゃね」 「後輩達ねぇ」 「天文部は後輩いないもんなぁ」  弘司と二人、溜息を吐く。  来年こそ、新入部員が入ってくれるといいんだけど。 「なおくん、茉理ちゃんと橘さんがいるでしょ?」 「おっと、そうだった……って忘れてたわけじゃないぞ?」  本当はすっかり忘れていたけど。  “♪ちゃーちゃっ、ちゃちゃー”  その時、狙い澄ましたかのように携帯が鳴る。  ディスプレイには『まちゅりん♪』の文字。 「もしもし?」 『もしもし直樹? あたしこの前言い忘れてたけど、お土産は――』 「アデュー」  “ぶつっ”  電話を切った。  いきなりお土産の話をする従妹を持った覚えはありません。  “♪ちゃーちゃっ、ちゃちゃー”  再び騒ぎ立てる携帯。 「どうした、何度も」 『なんでいきなり切るのよっ!』 「いや、電波が悪くてさ」 『切る前に「アデュー」って言ってた』 「幻聴だ」 『あんまりふざけてると、帰ってきた日の夕飯が凄い事になるよ?』 「……ヘイガール、ご所望の品をいいな」 『分かればよろしい。あたしはお――』  “ぶつっ”  電話が切れる。  今度は本当に電波が悪いせいらしく、ディスプレイには圏外の文字。  ……あまりのタイミングの悪さに、がくりと膝を着く。 「どうしたの? 久住くん」 「お、俺の晩飯が……」 「? よく分からないよ」  聞き取れたのは『お』から始まる名前だという事だけ。  仕方ない、観光地なら必ず売っている、アレを買っていってやる事にするか。 「ねえねえ、それより、わたしペットショップに行きたい」 「え、何で?」 「ロータスに、お土産買って行くの」 「なるほど」 「いいんじゃないか、ペットショップ探しながらお土産も見るって事で」  美琴の意見を受け入れる弘司。  特に行く当てのないという事で、俺達はまずペットショップを目指す事にした。  そして発見したペットショップには、当然ながらところせましと動物達がひしめいていた。  早速お土産になりそうな、首輪が並べられている場所に行く。 「観光地の人間の商売魂は凄まじいな」 「へえ、こんなのもあるんだね」  京都と書かれた首輪を見て、保奈美と二人感心していた。  むしろロータスにではなく、茉理に買っていこうか。 (にゃおき……かまって欲しいにゃん♪)  ああ、ありえない甘美な世界。  ……俺の頭の中が大変な事になっていた。 「どうした直樹、ぼけっとして」 「ちょっと首輪にロマンを感じていただけさ」 「はあ?」  疑問符を浮かべる弘司を置いて、店内を見て回る。  中には低い柵に囲まれた子犬のゾーンがあり、ご自由にお入り下さいと書かれていた。  当然ながら美琴は、迷うことなくそこにダイブ。 「見て見て久住くんっ、可愛いよ〜っ!」  お土産の事なんてすっかり忘れて、子犬とじゃれあう美琴。  ロータスよりそっちに気をとられてどうするんだか。 「ほらほら、もっと近くに来なきゃ分からないよー」 「はいはい」  仕方なく柵の中に入り、しゃがみ込んだ美琴と視線の高さを合わせる。 「ほら、子犬さんってばとってもキュート!」 「そうだな」  どちらかというと、美琴に抱かれた子犬よりも、その下にあるしましまパンツの方が可愛いんですが。  むしろそっちの方に目が釘付けで、子犬なんて見てもいない。  白と水色のストライプ……誠に結構。 「さわってみる?」 「いいいい、いいのかっ!?」 「久住くん、何でそんなに興奮してるの?」  ああそうか、しまパンの方じゃないのか。 「ねえ久住くん、さっきからどこ見てるの?」 「しまパン」  しまったぁぁっ! また思いっきり正直に!? 「…………久住くん?」 「違うんだ美琴。神秘のデルタゾーンには視線を惹きつける魔力が」 「ていっ」  “ぷすっ” 「ぎゃああぁっっ!」  目潰しをくらった。 「久住くんが青二歳だから悪いんだよ」 「目がぁ、目がぁぁ……!」 「さあ、首輪買ったら行くよ。40秒で支度しなっ」 「お、鬼……」  俺の思考の片隅で、恰幅のいいおばちゃんが「いい子じゃないか。守っておやり」と言っていた。 #第十五章『俺は東にお前は西に』 「諸君らも知っての通り、明日は大阪府内に移動する為、宿泊施設から露天風呂がなくなる。  これは今夜が作戦決行の最後のチャンスであり、今修学旅行中最大にして最後のイベントになる事を示唆している。  諸君らには今回の作戦の重要性をしっかりと認識し、最善の努力を尽くすよう……」  旅館の部屋に戻ってから、ずっとこの調子だ。 「昨晩は時間管理の重要性の認識が甘かった為に、作戦は大失敗に終わってしまった。  今回はこれを踏まえ、作戦会議の時点から、全てを可及的速やかに行わなければならない」  タナベエ指令は架空のマイクを、片時も離さない。  さっき夕食を摂ったばかりという事もあり、眠気がピークに達しようとしていた。 (うとうと……) 「こら久住っ、寝るなっ! おはようのチューで起こすぞ!!」 「それだけはイヤだ」  無理矢理奮起して、眠気をどこかに押しやる努力をする。  それは困難で辛いものだ。一種の拷問のように思える。 「ではこれが今回の攻略マップだ」  そう言ってタナベエは昨日と同じく、A2サイズの見取り図をテーブルに広げた。 「見ての通り東側には柵、西側には岩がある。これが狙撃ポイントだ」 「高低差が分かりにくいな」  ふと俺が言うと、弘司が線の書かれた透明な板を見取り図に重ねる。  その線は、等高線だった。 「流石むっつり二等兵」 「むっつりって言うな。しかも二等兵かよ」  まあ、どうこう言いつつも、弘司だって奮起一番この機会にかけているのだ。  やつの中に流れる男の血を知り、思わず熱くなる。 「ではマップが見易くなった所で続けよう。東側の柵には俺が張り込む。  お前達は西の岩を登って、そこから覗く。この西と東は風呂を迂回すれば行き来できる。  どちらが一番覗き易いかは、ジェスチャーによって相互に伝える事にしよう。  見易ければ腕で丸をつくり、見難ければバツだ。  これよりこの作戦を『俺は東にお前は西に作戦』と呼ぶ事にする」 「なんちゅーネーミングセンスだ」 「褒めるな、照れる」 「そのどうしようもないプラス思考は止めた方がいい」  さらっと警告すると、また見取り図に視線を移す。  果たして、この作戦は上手くいくのだろうか?  もしバレたら……覚悟して置いた方がよさそうだ。 「さて、諸君らに作戦に必要な装備を支給する」  そう言うとタナベエは自分の旅行鞄から、黒い全身タイツとお面を取り出した。  こんなもの入れてたから、あいつの鞄だけ大きかったのか。 「浴衣では機動性にかける為、作戦中はこのタイツを着用して貰う」 「どこぞの芸人じゃあるまいし……」 「それと、もし発見された場合への保険として、このお面をかぶるんだ」  タナベエは俺に大仏のお面を渡し、弘司には有名プロレスラーのお面を渡した。 「いいか、今から久住は『大仏』、広瀬は『アントニオ』とする」 「あのなぁ、タナベエ……」 「ノンノン、俺はもうタナベエではない」  もうタナベエじゃないらしいそいつは、懐かしい特撮物のお面を鞄から取り出し、かぶった。 「俺は作戦終了まで、『ウルチョラのはは』だ」 「どっちかっていうと、『ウルトラのバカ』だな」 「黙れ大仏。お前は悟りでも開いてろ!」 「悟り開いたら風呂覗きなんてしないっての」 「まあ何でもいい。とにかく今から俺の事は『ウルチョラ』と呼べ」  かなり強引に、タナベエは場を収める。  そして視線はまたテーブルの上の見取り図へ。 「……さて、作戦開始まで一時間を切った。進入ルートを煮詰めるぞ」 「おう」 「……何か、本格的になってきたな」  弘司の呟きは、再び始まったタナベエの演説にかき消された。 #第十六章『Operation HURONOZOKI』  20:05(フタマルマルゴー)  ついに作戦決行の時間がやってきた。  廊下に人影はなく、嵐の前の静けさを思わせる。 「なるべく足音を立てるなよ……」  小声で注意を促すタナベエ。  俺達の部屋は四階。ここから露天風呂のある一階まで降りなければならない。  だが全身黒タイツにお面という、如何にも変な奴なコスチュームに身を包んだ俺達は、誰とも接触するわけにはいかないのだ。  その為、エレベーターを使用する事は出来ない。 「……よし、誰もいない」  弘司は非常階段を覗き込み、安全を確認する。  全身黒タイツに某プロレスラーのお面という格好で慎重に扉の向こうを確認する姿は面白すぎたが、俺達に笑っている余裕などない。  早々と非常階段に身を滑り込ませ、もう一度辺りを確認。 「いくぞっ」  完全に人の気配がない事を認めると、駆け足で階段を下りる。  あっという間に、一階へ。 「慎重にな」 「……ああ」  そして弘司は再び扉の向こうを確認する。  ちなみに何故弘司がこの役割を務めるかと言うと、一番人っぽいお面をかぶっているからだ。 「よし……」  そろりと弘司が、足を扉の外に踏み出した瞬間―― 「っと、マズイ。人が来た」  弘司はすぐその足を引っ込め、音を立てないように扉を閉めた。 「……危なかったな」 「見つかってないだろうな……?」 「多分、こっちには気付いてなかったと思う」  そうこうしていると、どんどん声が近づいてくる。 「うわ〜、出遅れちゃったよ〜」 「そんなに焦らなくても、お風呂は逃げないよ」 「あはは、そうだね。お風呂広いといいなぁ」  そして扉の前を過ぎていったのか、小さくなっていく声量。  今の声は……保奈美と美琴だな。 「俄然燃えてきた……」 「その意気だゼ、大仏」  ふっふっふ、と口元を歪ませていると、再び弘司が慎重に扉を開ける。 「どうだ、アントニオ?」 「オーケー。今度こそ大丈夫だ」  その言葉に俺達は廊下に躍り出た。  人と接触する可能性の高いこの場所では、迅速に行動する必要がある。 「全力前進っ」  掛け声に呼応するように、走る。  目指すは露天風呂に一番近い非常出口。 「はっはっ……アレか……?」 「そうだ、あの出口だっ」  やがて見えてきた非常出口のマーク。  更に速度をあげて接近し、体当たりするように扉を開ける。  一刻も早く危険な廊下から逃れる為、確認はない。 「はあぁ……なんとか見つからずに来れたな」 「ああ、だが気を抜くには早いぞ。大仏、アントニオ」 「分かってるって……ウルチョラ」  俺達に休んでいる暇などありはしない。  俺達は無言で茂みの中に押し入っていく。 「……ったら……だね」 「だから……なって……」 「きゃ〜、ちょっとぉ〜……」  そしてやがて聞こえてくる、無邪気な女神達の声。  俺達の目の前には、露天風呂を囲むようにそびえ立つ柵。  ついに、ここまで来たか……。 「さて、ここからは別行動だ。武運を祈る」 「ああ、見つかるなよ」 「そっちこそ」  短い会話の後、俺達は別れる。  タナベエは東へ、俺達は西へ、だ。  露天風呂を回りこみ、進んでいくと途中で柵がなくなり、岩肌が俺達を阻む。  ここが例の岩場らしい。 「登るぞ」 「ああ」  小声で話し、慎重に岩肌に手をかける。  絶景を求めて、目指すは頂。  ゆっくり、確かめるように登っていく。 「…………」  そして岩の頂点。  手をかけ、ゆっくりと身を引き上げる。  そこに待っていたのは……。 「…………あれ」  絶景でも何でもない景色だった。  丁度俺達のいる側は洗面台がある場所らしく、もう身体を洗っている女子はいない。  みんな風呂に入っているみたいで、ここからでは遠すぎて良く見えないのだ。 「くそっ、全然見えないじゃないか」 「おい、タナベエの方を見ろよ」 「ん……? おお!」  奴は腕で大きく丸を作っていた。  それに応えるように、俺は腕でバツを作る。 「よし、東側に移動しよう」 「ああ」  タナベエが腕を引っ込めるのを確認した後、岩を降りる。  なるべく音を立てないように茂みをかきわけ、東側へ。  やがて現れた柵づたいに進むと、タナベエの後ろ姿が見えた。 「おお、来たか」  柵の後ろには岩場があるらしく、タナベエはそれに登って柵の上から覗いている。  いそいそと岩場を登ると、タナベエの隣につき、風呂の方を見た。 「……おい」 「何だ」 「全然見えないじゃないか!」 「こら、デカイ声を出すな。俺のせいじゃない」 「じゃあ何故俺達をこっちに呼んだ?」 「俺だけ見れないのは悔しいから。お前らが丸作ったらそっち行こうと思ってた」 「てめぇ……」  そう、そこに渇望した光景はなかった。  湯気が凄い上に、みんな湯船に浸かっている為、大事なところが見えない。  それはまるで天然のモザイクのように、俺達の視線を阻んだ。 「うわ〜、藤枝さん胸大きいー」 「ほんと、羨ましいな〜」 「そう言う美琴だって、小さいわけじゃないでしょ?」 「ねぇねぇ、触ってみてもいい?」 「えっと……ちょっとだけだよ?」  本能を刺激する会話が耳に飛び込んでくる。  ここまで来て……何も見れないなんて! 「だがな大仏よ。チャンスが無いわけじゃない」 「どういう事だ?」 「風呂から出る瞬間。それがチャンスだ」 「なるほど……っておい、みんな風呂から出始めたぞっ」  丁度その時、女子達はぞろぞろと動き始めた。  仄かに見えるピンク色。体中を駆け巡る背徳感。  俺の意識とは別に、視線は保奈美と美琴を求め彷徨う。 「……いた」  だがまだ視界は悪く、完全には見えない。  お面が邪魔過ぎる。 「くそっ、もう少し近ければ……!」 「もうちょっと……もうちょっと近くに……」 「今日も一歩前へ、今日も一歩前へ……」  思わず3人、柵によりかかる。  もっと近くへ。もっと近くへと。  “ぎいぃ……”  嫌な、音がした。  “ぎいぃぃぃ……ばっしゃーーん!!” 「「「「きゃあーーーーーっ!!」」」」 #最終章『愛もなく、救いもなく』  廊下を走る。奔って、駆ける。  表現は何でもいい。  とにかく大腿筋に渾身の力を込め、前へと進む。 「まてっ、お前達、絶対に逃がさんぞっ!!」  後ろを振り向けばどこになりを潜めていたのか、フカセンの姿。  捕まるわけにはいかない。  誰が捕まるものか! 「くそっ、フカセンめ、あれで本当に三十路越えてんのかよっ」 「ふははは! 楽しくなってきたな!」 「楽しいわけあるか!」 「おい、向こうから仁科先生達がくるぞ!」  弘司の言葉に目を凝らして前を見ると、そこにはどこから話を聞きつけたのか恭子先生と結先生の姿があった。  くそっ、挟み打ちか……。 「そこの奇妙なお面三人組! 逃がさないわよ〜!!」 「こっちだ!」  絶体絶命のように思えた瞬間、弘司に腕を引かれた。  そうだ、ここら辺に非常階段があったんだったっ。 「急げっ、捕まるぞっ」 「言われなくても分かってる!」  ただひたすら上へ、二段抜かしで飛ぶように駆け上がる。  それは俺達の部屋のある四階に達しても止まらない。  ここで廊下に出てしまっては、いずれ部屋がわれるからだ。 「待てーっ!!」  駆り立てられる兎の如く、俺達は走る。  普段から運動してない為に、俺の心臓は既に悲鳴を上げ、限界に達しようとしていた。  足の筋肉もこれ以上ないくらい緊張し、はち切れるのではないかと心配になってくる。 「はっ……はっ……」  ペースが落ちる。  脳に酸素が回らなくなってきたのか、視界が狭まった感さえしてきた。 「ぜぇ、はぁ……しまった……」  その時、タナベエは後悔を意味する言葉を発する。  見れば目の前には扉。つまり屋上まで来てしまったという事だ。  “ばんっ!”  体当たりするように扉を開けた。  冷たい風が頬を撫で、遥か後方へ流れ行く。 「すぅー、はぁ〜……」  屋上の中央辺りまで来て、息を整える。  事を考えるには、酸素が足りない。 「何とかと煙は高い所が好きとはよく言ったものだ……お前達、もう逃げられんぞ!」  俺達の前に仁王立ちするフカセン。  その後を追うように、恭子先生と結先生も屋上に姿を見せる。 「これはマズイな……アントニオ」 「ああ、何かこれを打破する案はないのか? ウルチョラ」 「任せておけ。大仏とアントニオよ」  そうこう言っている間にもフカセンは間合いを詰めてきた。  フカセンが一歩動いては、俺達も一歩下がる。 「で、それはどういう案なんだ?」 「聞いて驚け。これを身に着ければ金曜日の夜だけ空を飛べるという……」 「もしやそれは……」 「そう! アホアホウイ○グだ!」 「なんと……お前、バカじゃなくてアホだったのかっ」 「驚くのそっちかよ!」 「お前達、何をわめいている?」  フカセンは俺達を威圧するようにまた一歩前に出る。  それと同時に、タナベエはフェンスに向かって走り出した! 「つー事で、俺は飛ぶ!」 「待て、抜け駆けかよっ。っていうかお前の持ってるの風呂敷だろうが!」  ウイングとか言っておいて、あいつの手にしているのはただの風呂敷だった。  忍者じゃあるまいし、そんな物で飛べるわけないだろうに。 「待てっ!」  フカセンが走り出し、俺達もタナベエを止めるべく走り出す。  俺達がフェンスに辿り着くより早く、タナベエはフェンスの上に登りきる。  ダメだ、間に合わない! 「おい、何を考えている! 止めるんだ!」 「バカッ! ここは10階だぞ!」 「あばよ……」  そう言って、タナベエは飛び降りた。 「…………」  そう確かに飛び降りた。 「…………テヘリ」  だがその飛び降りた方向は俺達が考えていた方向と正反対。  つまり屋上側に飛び降りた。 「やっべぇ、ここ高すぎ。落ちたら死んじまうよ。ああ怖かった」 「…………お前やっぱ落ちろ!」 「のわっ、何をするっ」  心配したこっちがバカだった。  だが俺達に息つく暇などありはしない。 「もう逃げられませんよ、大仏さん達」  右を見れば、結先生。 「まったく、手間かけさせてくれるわね」  左を見れば、恭子先生。 「お前達……もう逃げ場はないぞ」  正面には、フカセン。 「は、はは……は……」  乾いた笑い。  “ひゅううぅぅ……”  冷たい風が、身に染みる。  そこには愛もなく、救いもなく……。 「チェックメイトだ」  終焉という、事実だけがあった。 <THE END...!?> #番外章『お土産』  我が家と呼べるようになって久しい渋垣家。  誰かが言った「○○は家に帰るまでが○○です」という言葉を鵜呑みにするなら、修学旅行は今、終わろうとしている。  “がちゃっ” 「ただいまー」  家の中に呼びかける。  しかし返事は返ってこない。  耳を澄ませば、リビングから話し声が聞こえた。 「誰か来てるのかな?」  重たい旅行鞄に手を痺れさせながら、リビングの扉を開く。  “がちゃっ” 「ただいま」 「あ、覗き魔が帰ってきた」 「久住先輩、おかえりなさい」  がっくりと膝をついた。  随分情報が早い。 「やあ、ちひろちゃん来てたんだね」 「こらこら直樹。あたしの発言は無視ですか」 「せっかく人が話を流そうとしてるのに……で、誰に聞いたんだ?」 「運営委員会の先輩に聞いた。はぁ、これからはあたしもお風呂入るときは気をつけないと」 「その心配だけはしなくてもいい」 「なにをー」 「くすくす……」  俺達の会話を見守っていたちひろちゃんが笑う。  いつも通りの事に、帰ってきたんだなと実感が沸く。 「そうだ、お土産があるんだ。はい、ちひろちゃん」  俺は鞄から取り出したソレを、ちひろちゃんの小さな手に載せた。 「あ、ありがとうございます、久住先輩……これは?」 「木彫りの熊」  グッと親指を立て、白い歯を煌かす。 「美琴が『ナウでヤングな女の子にバカウケだよ』って薦めるもんでね」 「は、はぁ……」 「あ、あれ? 嬉しくない?」 「直樹……騙されてる」  なんと。  誰も買ってないからおかしいとは思っていたが。 「で、直樹。あたしのは?」 「はいはい、ちゃんと買ってきたよ」  俺はまた鞄を漁り、茉理へのお土産を取り出した。  自身満々に渡す。 「あの……直樹?」 「それか? 電話が切れる瞬間に『お』って聞こえたから、頭に『お』がつくやつを買ってきたんだ」 「それでどうして『おっぱいチョコ』なんか買ってくるのよ! あたしは『お好み焼き味ならなんでもいい』って言おうとしたのにっ」 「バカヤロウ、おっぱいチョコを見くびるんじゃない! 保奈美は毎日これを一個づつ食べて、胸を育んだんだぞ!」 「そんなわけないでしょっ! だったら直樹が毎日食べて実証して見せてよっ」 「あほか、俺は男だぞ」 「あ、あの……」  その時、黙って成り行きを見守っていたちひろちゃんが声を絞り出す。  俺達は一時休戦し、ちひろちゃんの方を見た。 「どうしたの? ちひろ」 「あのね、茉理……私にも、その……」 「うん?」 「チョコ、分けてくれるかな……?」 「「…………」」  これは後から知った話だが、二人は仲良くそのチョコを半分こして、毎日一個づつ食べたそうな―― <閉幕>