Title:『雪だるまよ、永遠に』   ...produced by 滝  たとえば、冬の朝。  部屋の中だというのに、吐く息が白い朝。  暖かさが恋しくなる事はないだろうか。  人肌が、恋しい時は無いだろうか。  ただ横にいてくれるだけでいい。  何もしないで、寝ているだけでもいい。  居て欲しい時に、居て欲しい人が、そこに居てくれる。  それはどれだけ幸せで、どれだけ尊い事だろう。  だれだけありがたく、暖かい事だろう。  その暖かさが、憂鬱な目覚めの時さえも幸せに変えてくれる。  そう、今この時のように――           #          #          #  12月25日、朝。 「おはよー」 「おはよう、直樹君」  リビングに下りる。  ストーブで暖められ部屋は、衣擦れすれすら億劫なこの季節には天国以外の何物でもない。  身体よりも、まずは冷たい服を温める様に、俺はストーブの前を陣取る。 「あれ、茉理は?」  熱源に手をかざしながら、ふと気付く。  先にリビングに下りて行ったはずの茉理の姿が無い。  いつもならガタガタ震えながら、10分はストープにしがみついているというのに。 「ふふっ、外を見れば分かりますよ」  英理さんは料理をする手を止める事無く、こちらを振り向きもせずにそう言い放つ。  外……と言われて窓を見やれば、今日はなんだかいつもより明るく感じる。  俺は中途半端に温められた身体を引きずり、窓へと接近する。 「うおっ」  雪が、積もっていた。  昨夜――クリスマスイヴの夜から降り続いた雪は、見たところ30センチ以上は積もっている。  何百、何千もの透明が織り成す白は、どんな白よりも綺麗で輝かしく、純白と呼ばれるに相応しい。  その白に反射された陽光が眩しくて、俺は目を細めた。 「で、何やってるんだ? あいつは……」  真っ白になった庭の真ん中で、背中を丸めた誰か。  その誰かは傍から見ても分かる程に上機嫌で、ツインテールを左右に揺らしながら雪と戯れている。 「……見なかった事にしよう」  見つかれば、きっと外に引きずり出される。  この天国から、血も涙もない零下の世界へ連れ去られてしまう。  起き抜けの頭でも想像に難く無い程、それは辛い事だ。  俺は無言で、窓に背を向けた。 『あ、直樹っ』  ビクッ、と凍ったように動きが固まった。  窓越しにでもよく通る声は、俺を離してはくれない。  その如何にも嬉しそうな声は、本能的に俺を振り向かせるのだ。 「何してるんだよ、茉理」  仕方なく、窓を少しだけ開ける。  その僅かな隙間から流れて来る冷気は、暖かさという小さな幸せを奪うのには十分過ぎた。 「何って……ほら、雪が積もってるんだよ?」 「それは見れば分かる」  まだちらほらと舞う、米粒ほども無いような雪。  茉理のロングコートに纏わりついては、数秒の後に消える。 「じゃあ何をぐずぐずしてるのよ?」 「何をぐずぐずしてるってなぁ……」  雪が積もったぐらいではしゃぐなんて、歳を考えろよ。  なんて野暮ったい台詞が喉元までせり上がってきて、あわてて口を閉ざす。  このあどけなさこそが、茉理の大きな魅力の一つだからだ。 「ほら、早く直樹も出てきてよ」 「なんで?」 「雪だるま作るの手伝って」  しれっと酷な事を言う。  外は間違いなく氷点下。  それなのに、寒がりの茉理が進んで外に出て遊ぶと言うのだから、雪の魔力って凄いと思う。 「……どうしても?」 「どうしてもっ」 「せめて朝飯食ってからにしよう。な?」 「あ、うんっ」  これ以上無いほど嬉しそうな顔をする茉理。  白い世界の中、茉理の笑顔はどんな白より輝いていた。           #          #          # 「さむぅ……」 「直樹の根性無し」 「……やかましい」  いざ外に出て見ると、想像以上の大雪だった。  家の前の道はやはり30センチ以上は積もっており、これじゃ交通機関は半分麻痺しているだろう。  こんな事、ここら辺じゃ10年に一度あるか無いかだ。  “ぎゅむっ ぎゅむっ”  歩くたびに、純白の大地に足跡がつく。  それが楽しいのか、茉理は数歩走った後、俺の方を向き、両手を広げて言う。 「これなら凄くおっきい雪だるまが作れそうだねっ」 「……マジで?」  茉理は広げた両手をぐるぐる回して、『おっきい雪だるま』をアピールする。  流石にそこまで大きいのは二人じゃ無理だぜ、マイラバー。 「その半分じゃダメか?」 「どうしてすぐ妥協案を出すの?」 「だってなぁ……」 「……ぃ〜〜……て〜〜っ!!」  その時、不意に声が聞こえた。  何事かと声のした蓮美坂の方を見ると、赤い物体が迫ってきている。 「あれは……美琴さん?」  美琴はサンタよろしく赤い服を着て、橇(そり)で滑ってくる。  その後ろには、美琴を追いかける弘司とちひろちゃんの姿もあった。 「何やっとるんだ、あいつは」  しかも赤にちなんでか、通常橇で滑る速度の3倍ぐらいの速さだった。  流石美琴。細かいところにも手を抜かないな。 「ど〜〜い〜〜て〜〜っ!!」  みるみる接近してくる。  こんな寒い日だというのに美琴はスカートを穿いていて、すべる速度が速すぎる所為で惜しげもなくパンツをさらけ出している。 「久住く〜んっ、どいて〜〜っ!!」 「おお、シマパンが目の前に……」  “どがしゃあっ!!”           #          #          # 「まったくお前は、天から降ってきたと思えば今度は橇アタックか!?」 「しゅーん……」 「はいはい、じっとしてなさいってば」  リビングへと戻った俺は、茉理に手当てをして貰っていた。  部屋の中には、美琴を追ってきた弘司とちひろちゃんの姿もある。  部屋に大勢の人がいると、それだけで暖かい感じがするから不思議だ。 「よく橇であれだけのスピードが出せたもんだな」  俺はさも呆れたと言わんばかりに肩をすくめる。   「で、でも、避けれたはずなのに避けないのも悪いと思うよっ」  すると美琴は開き直ってそんな事を言い出した。 「確かに……久住先輩、疲れていらしたんですか?」 「俺も、あれは避けれたと思うよ」  ちひろちゃんと弘司まで、美琴の援軍にまわる。  だが言えるだろうか?  パンツ見てました、なんて。 「ええい、責任転嫁するなっ」  勿論、責任転嫁しているのは俺なわけだが。 「ねえねえ、そんな事より……」  苦境に追い込まれた俺に助け舟を出してくれたのか、茉理が話を遮る。  なんだか、自分が凄い悪者みたいに思えてきたが……正直に言ってこれ以上絆創膏の数を増やすほど俺は聖人君子ではない。 「折角これだけの人が集まってるんだし、雪だるまを作りませんか?」 「あ、いいねそれ。私2メートルぐらいあるのが作りたいっ」  美琴は勢いよく手を上げて賛成の意を表す。  さっきまでのしょんぼりした表情はどこへやら、だ。 「うん、みんなで作ったら楽しそう」 「2メートル級かぁ……小さい頃はそのぐらいのを作ろうって意気込んで、結局無理だったもんな。今なら出来るかも」  ちひろちゃんは元より、意外にも弘司まで乗り気だ。  外を見れば、さっきより大きさを増した雪が降っている。  揃いも揃って、こんな日に雪だるまとは酔狂な。 「はいはいっ、私は胴体の作成に勤しみたいと思いますっ」 「じゃあ私もお手伝いしますね、天ヶ崎先輩」 「それじゃ俺も胴体を手伝うよ。ということは……」 「あたしと直樹は頭の部分ねっ」  茉理は飛びっきりの笑顔で、俺の腕に手を回す。 「お、おう。任しとけっ」  本当に、酔狂な。           #          #          #  再び道に出ると、町はさっきより白さを増していた。  元々交通量の少ないこの道は車の轍すらなく、本当に綺麗に積もっている。  もっとも、これから外に出る人も増えてきて、たちまちその白は道路が如何に汚れているか証明するカオスへと変貌するのだが、そこら辺は考えないでおく。 「さて、雪だるま作るのはいいけど、どこに置いておくの? 道路じゃ邪魔になるだろうし」 「ご心配なく、そこの角を曲がった先に空き地があります」  心配そうにパタパタとポニーテールを振る美琴に、親指を立てて答える茉理。  茉理のいう通りこの近くには空き地がある。  一応土地は国の持ち物らしいが、公園が出来る予定が予算の関係で凍結しており、全く何も無いまま放置されている。  雪だるまを作るには打って付けだ。 「それじゃあ各班は作業が完了次第、その空き地に集合という事で。オーケー?」  俺が呼びかけると、各々が「おー」やら「了解」やらと返事をする。  『オペレーション・雪だるま』の開始である。 「はい、じゃあ元になる玉を作るわよ〜」  やたらと張り切っている茉理は、ピンクのミトンをはめた手で雪を固めだす。  “ぎゅっ ぎゅっ”  小気味好い音をたてて氷の結晶が圧縮され、たちまち雪玉へと変わった。  芯の部分となる、直径15センチ程の綺麗な白玉。 「ほら、直樹もぼうっとしてないで、作るの手伝ってよ」  茉理は言いながら俺に雪玉を差し出す。 「はいはい……それ」  俺は茉理から雪玉を受け取ると、ボーリングの要領で思いっきり転がした。  雪玉は小さな雪原の上を勢いよく転がり、他の雪を巻きこんで大きくなっていく。  雪玉が倍ぐらいの大きさになった所で、ぴたりと動きが止まった。 「うわぁ、私もやる〜」  茉理は飛びつかんばかりの勢いで雪玉の元へと駆け寄る。  最早片手では持てなくなったのか、両手で雪玉を持ち上げた。 「そ〜……れっ!」  茉理は渾身の力を込めて、まるで子供がボーリングの玉を両手で転がすように雪玉を放り投げる。  雪玉は10回転ぐらいしたところで止まり、茉理は不服そうな表情を浮かべた。 「む〜、なんでよ〜」  頬を膨らます茉理が可愛い。  俺はポケットに突っ込んでいた手を出しながら茉理の元へ歩み寄る。 「ほら、あとは手で押して転がすしかないって」  茉理の左手を取り、そのまま雪玉に触れる。 「目標は直径80センチだっ」 「あ……うんっ!」  二人手を取り、ただ雪玉を転がす。  どうしようもなく幼稚で、単純な作業。  それは何よりも楽しく……大切だった。           #          #          # 「あ、なおくんと茉理ちゃん、やっぱりここに居たんだ」  俺と茉理は頭の部分を作り終えて空き地で待っていると、不意に声をかけられる。  振り向けば、そこには防寒仕様の保奈美の姿。 「あっ、保奈美さん」 「よう保奈美。なんだよ、やっぱりって」  俺の行動を先読みしたような発言をする保奈美に、思ったままの疑問を投げかける。  保奈美はごそごそとマフラーを巻き直しながら答えた。 「だってなおくん、雪が降ったらいっつもここで遊んでたから」 「あはは、そうでしたねー」 「……身に覚えがありませんな」  茉理と保奈美は笑い合う。  何だかいつまでもガキのまんまみたいで恥ずかしい。 「それで、やっぱり雪だるまを作ってるのかな?」  保奈美は俺達の足元にある雪玉を見て言う。 「違うと言ったらどうする?」 「別にどうもしないけど……」 「直樹っ、変な事言わないのっ」  茉理に怒られた。  俺、ますますガキっぽい。 「あはは、じゃあ私も手伝っていいかな?」 「いいけど、胴体はもう美琴達が作ってるぞ?」 「天ヶ崎さん達もいるんだ。じゃあ私は顔になるような材料探してくるね」 「あ、じゃあ私もお供しますっ」  言われてみれば、顔の部分についてすっかり忘れていた。  顔に必要な物は、人参にバケツに……と指折り数えていると視界の端に白い翳がさす。  あれは……。 「お〜い、遅いぞー!」 「そ、そんな事言ったって〜〜」  美琴達が空き地に現れた。  雪だるまの胴体の部分にあたる雪玉は、裕に1メートルはありそうな程巨大だ。  三人でなければ、動かすことも難しいだろう。 「はぁ〜、疲れた〜。あ、藤枝さんおはよ〜……」  三人は雪玉をある程度のところまで転がすとその場にへたり込む。 「ふぅ……ふぅ……ふ、藤枝先輩、おはようございます……」 「ぜぇ……はぁ……お、おは……」  余程扱き使われたのか、弘司は挨拶も出来無いほど息も絶え絶えだ。  こういう普段見れない所が見れるのは、みんなで遊ぶという行為に特権だな、と頭の隅で思う。 「ふむ……」  俺は二つの雪玉の前で腕を組み、考える。  考える……が、一向に考えが纏まらないので、みんなに聞いてみる事にした。 「さて……ところでみんなに意見を聞きたい事があるんだが……」  改まって言うと、全員の視線が俺に集まる。  二つの巨大な雪玉を見ながら、言った。 「どうやって載せるんだ、これ?」           #          #          # 「はい、これが口になって、これが鼻になって……」  保奈美は茉理と一緒に集めてきた雪だるまの顔のパーツについてレクチャーする。  だが、相変わらず直径80センチになろうかという頭の部分を、1メートル以上ある胴体の上に載せる方法は思い付けないでいた。  一度全員で持って載せようとしたが、試行錯誤の末に固められた雪玉の表面はつるつると滑り、あえなく失敗。 「う〜ん……どうしたもんかなぁ……」  だだっ広い空き地の中心で、途方に暮れる男女6人。  相変わらず振り続けている雪はほとんど止みかけていて、はらはらと舞う程度だ。 「えっと……何か、道具を使ってみるとか」  ちひろちゃんは自信無さげに進言する。  道具……道具……ねぇ。  頭の中に『道具』という単語がリフレインするが、重いものを持ち上げるのに使えそうな道具というのは思いつかない。 「道具……そうだよ道具っ。思いついたっ!」  美琴はそう言うと天を突かんばかりの勢いで立ち上がった。  そのまま空き地の端に走ったかと思うと、塀に立て掛けてある木の板を持って戻ってくる。 「美琴さん、何か妙案が?」 「ふっふっふ、まあ聞いててよ」  美琴はちっちっちと指を振ると、板を地面に置いた。 「まずこの長方形型の板の端っこに、胴体の部分を載せます。はい、男子諸君は頑張って」 「へいへい……」  言われるがまま、美琴の指示通りに胴体部分を移動させる。  誠に遺憾ながら、万策に尽きた俺達は、美琴の閃きだけが頼りなのだ。 「そして頭の部分も板に載せて、胴体とくっつけます。はい、ファイトーっ」  また言われた通りに作業する俺と弘司。  お前も手伝えよと言いたい所だが、まぁ文句は失敗してからにしてやろう。 「はい、ここまでやればお分かりですね。てこの原理の応用です。  男子諸君は板を持ち上げ、私と藤枝さんがこけない様に雪だるまを支えます。  その間に茉理ちゃんと橘さんが胴体の下を固めて、雪だるまは直立不動!  どうですっ、この素晴らしい計画っ!」  ……数秒の沈黙。 「……やるなぁ、天ヶ崎さん」 「うん、これならいけるんじゃない?」 「私も、賛成ですっ」  弘司を筆頭に、各々が賛同の意を述べる。  なるほど、これならいけるかも知れない。 「やるじゃないか、橇アタック!」 「うう……褒められてるのに貶されてるよ……」  しょぼくれている美琴を余所に、俺達は配置につく。  板と地面の間に指を入れると、じんわりと冷たさが広がってきた。 「ほら、美琴も早くっ」 「わわっ、待ってよっ」 「いくぞー……」 『せー……のっ!!』  冬の寒空の下。  俺達は高らかに声を上げた。           #          #          #  “うぃーん” 「あ、出てきたっ」  三脚の上に立った、ちょっと古めのポラロイドカメラ。  ぽんこつっぽい音をたてながら、写真を吐き出す。 「わー、見せて見せてっ」 「落ち着けって、しばらく待たないと見れないんだから」  出て来たばかりの写真はまだ黒く、ぼんやりと輪郭が見えるくらい。 「どれどれ……」 「どんな風に写ってるか、楽しみですね〜」  自然と、写真を中心に輪が出来る。 「あ、だんだん見えてきたね」 「これが雪だるまで、これが久住くんで……」  やがて鮮明になってくる写真。  写真に写っているのは俺達全員と、その誰よりも背の高い雪だるま。 「あはは、直樹ったら、中途半端な笑い顔〜」 「ま、茉理だって、髪の毛ほつれてるじゃないかっ」  写っている全員が笑顔で、その中でも一番の笑顔の雪だるま。  一人や二人では完成し得なかった、雪だるま。  それはただの氷の結晶の固まりかもしれないけど……。 「ねえねえ、この写真焼き増ししてよ〜」 「あ、私もお願いしていいですか?」  それは紛れも無い、友情の結晶だった。  いずれこの雪だるまは融けてしまうだろう。  水となり、自然に帰っていくだろう。 「任してくれ。ちゃんと全員分焼き増ししておくから」  だから後でこっそり写真に書いておこう。  『友情の雪だるまよ、永遠に』と―― <Fin>