Title:『愛と泪の毒キノコ』   ...produced by 滝  うかつだった。  朝食を食べながらニュースを見たり、新聞を読んだりしていればこの事態は防げたはずのに。  なにかしらのメディアから、『毒キノコ』の情報さえ入手していれば……。  だけど我が家にはそんな習慣なんかないわけで、むしろこれは運命だったのかも知れない――  そこまで考えたところで、茉理は大きくため息を吐いた。  部屋の片隅では、直樹がせっせと腕立て伏せをしている。  事の始まりはごく自然だった。          #         #         #  休日の朝。  いつもより遅く起きた茉理と直樹は、食料の買出しに行った。  買ってきた材料や、冷蔵庫に入っていたもので茉理は最愛の彼氏に手料理を振る舞い、 『お、このエリンギのバターソテー美味いなぁ』 『そう? それならあたしの分も食べていいよ』 『そりゃ茉理の分だろ。悪いよ』 『ううん。直樹に食べてもらう為に作ったんだから、いいの♪』 などと甘ったるい昼食をとった事まではいつも通り。  ――悲劇はその一時間後に起こった。 「俺は正義の為に生きてるんじゃない、愛の為に生きてるんだ!」 「……はあ?」  茉理の膝枕に頭を預け、耳掻きをしてもらっていた直樹は、突然立ち上がって叫びだした。  勿論、耳掻きを耳に突き刺したままで。 「そう、だから俺は明日が恋しいんだ……」 「ちょ、ちょっと直樹……」  茉理は焦った。  直樹の様子がおかしい。  たまに直樹は変な発言をするが、それの比ではないくらいおかしい。 「柔道の大会には魔物がおるんじゃあ! 魔物がおるぅー!!」 「直樹! 落ち着いてってば!!」  変な事をのたまう直樹に、驚き慄く茉理。  長閑な昼下がりのワンシーンは、直樹の叫びと供に崩れ去った。 「な、直樹。悪ふざけは止めてよ」  普段の直樹なら、本当に困った顔をして「止めて」と言えば、絶対にそこで止める。  憎めない笑顔を浮かべて「悪い悪い」と言いでもすれば、茉理は怒ったフリをして、イチャついて、いつも通り。 「断る! もっちりパンがしっとりしてるから断る!!」  だが直樹は激しく拒絶した。冗談でもないらしい。  茉理は必死になって直樹がおかしくなった原因を考えるが、一向に答えは出て来ない。 「直樹? あたしの事は分かる?」  とりあえず直樹の精神状態はどれだけ深刻なものなのか調べる為、茉理は質問をしてみた。 「まつりん。俺の大切なうさぎさん」 「ん、は余計だけど、記憶の混濁はないみたいね……じゃあこれは何か分かる?」  茉理はTVのリモコンを手に取り、直樹に見せる。 「イモートコントローラー……なんてあったらいいナァー。ルララァー」  直樹の精神状態はかなり危ない状態らしい。 (一体どうすれば……)  ふと遠くを見た茉理の視界に、見覚えのあるものが入ってくる。  つけっぱなしだったTVに、エリンギの映像が映し出されたのだ。  茉理の目はTVに釘付けになる。 『一昨日市場に出回った事で発見された、エリンギに良く似たキノコ、モエモエデンパダケですが、  未だに解毒法が発見されないまま、ついに中毒者が1000人を超えたと、日本毒キノコ医学会が発表しました。  このモエモエデンパダケに含まれるトンデルーゼは、抑制性の精神伝達物質であるガンマアミノ酪酸の生成を定期的に抑制する為、  中毒者は異常興奮期と平常期を繰り返す状態になります。  最新の調査報告では、1日から1日半で毒素が自然消滅する事が分かっていますが、中毒者はガンマアミノ酪酸の欠乏によって引き起こされる  パニック・ディスオーダーとは違った症状を見せる為、他にも毒性がある可能性を秘めて……』  そこまで聞いて、茉理の頭の中は真っ白になった。  どうしよう、直樹が毒キノコを食べちゃった。  しかも解毒法は見つかってない。  あたしの所為だ。どうしよう――          #         #         #  そして今現在に至るというわけである。  茉理が途方に暮れている間も、直樹は部屋の片隅で「西へ東へわっほっほ〜い♪」と歌いながら腕立て伏せに精を出している。  それは茉理にとって、千年の恋も冷めるような光景だった。 (でも……こんな時こそあたしがしっかりしなくちゃ!)  茉理は自分が病床に臥さっていた頃の、直樹の懸命な看病を思い出し、グッと拳を握る。  そう、まつりんのラブ・パゥワーは千年という積年の恋にも勝るものなのだ。 「ねぇ、直樹?」  まずは解決策が無くても、病院に連れて行かなければ。  そう考えた茉理は直樹に声をかけた。 「何か用かぴょん?」  いきなり茉理は出足を挫かれた。  あの直樹が「ぴょん」である。 「あああ、あのね? 病院に用事があるんだけど……」 「いや、ちゃんと避妊は……」 「産婦人科じゃないわよっ!!」  更に出足を挫かれる。  正常なのか異常なのか判断しかねる直樹のボケに、茉理は早くも挫折しかけていた。 「いい? 正直に言うとね、直樹は病院に行く必要があるの」 「ボクチンハ宇宙最強ナノデといれニイク必要ハナイノダ」 「トイレなんて一言も言ってないんだけど……」  毒キノコの効果はあまりにも凄まじかった。  かろうじて茉理の言葉に反応するものの、全く理解不能の答えしか返ってこない。  茉理は噛み合わない会話に疲れてきた。 「いいから、病院に行くのっ」 「いやだ。トイレには愛が足りないから行きたくない」 「だからトイレじゃないってばっ。もうっ! 引きずってでも連れてくんだから!!」  このままでは埒があかないと考えた茉理は、直樹の腕をがしっと握る。 「ヘイユー。実力行使に出るんなら、こっちも手がある」 「な、なによ……?」  直樹は茉理がひるんだ隙に腕を握っていた手を振りほどいた。  ジリジリと、茉理ににじり寄る。 「茉理の……」 「な、なにするつもりよ……?」 「茉理のツインテールをチョウチョ結びにしてやるぅーー!!」 「きゃあああああ!!」          #         #         #  ――俺は。 「…………俺は何をしてるんだ?」  俺の手には茉理のツインテールの端っこ。  しかも茉理の自慢のツインテールは、妙な結び方でゴチャゴチャになっている。 「なあ、茉理」 「…………なによ?」 「前衛芸術?」 「直樹がやったんでしょうがっ!」  あ、怒った。  というか、俺がやった……? 「なんだ? 一体どう言うことだ?」 「直樹……もしかして正気に戻ったの?」 「正気? 俺は……一体どうなってるんだ?」  茉理の作ってくれた昼飯を食い終わって、TVを見ながら耳掻きをしてもらっていた事までは覚えている。  でもそれから……俺はどうしていた? 何をしていた?  全く、思い出せない……。 「ねぇ、直樹。これっ。これは何に見える?」  そう言って茉理は俺にTVのリモコンを見せる。 「何に見える、って……。リモコンだろ。それがどう……」 「良かったっ」  "ギュッ"  茉理に抱きつかれる。  茉理の心底安心したという表情から、どういう理由だか知らないが、随分心配をかけていた事が分かった。  記憶の無い間の俺は一体何をしていたんだ?  茉理を、こんなに心配させるなんて……。 「ごめんな、心配かけて」 「うん……」  俺の胸板と茉理の額が擦り合わされる。  俺は茉理が離れようとするまで、絡まってしまっている髪を解くように梳いていた。          #         #         # 「……で、今が平常時って事になるらしいの」 「なるほどな……」  俺は茉理の作ってくれた晩飯を頬張りながら、記憶の無い間の話を聞いていた。  それから、俺が食べてしまったエリンギに似た毒キノコについてもだ。 「それでね、通常のガンマなんたらの欠乏症じゃないような症状もみられるんだって」 「それが茉理の言ってた、俺の変な言動ってやつか」  聞くところによると、記憶の無い間に俺は相当変な事を言っていたらしい。  聞きたく無いような、聞きたく無いような……。 「俺、どんな事言ってたんだ?」  結局興味に負けて茉理に聞いてみる。 「えっとね、『柔道の大会には魔物がおるんじゃあ! 魔物がおるぅー!!』とか」 「うわ……」  笑えない。  というか痛い。心が痛い。 「他にも『ボクチンハ宇宙最強ナノデといれニイク必要ハナイノダー』とか言ってた」  最悪だ。テンションだけで乗り切ろうとする新人芸人よりタチが悪い。 「他には……」 「もういい……」  これ以上、自分を嫌いになりたくなかった。 「はぁ……」  ため息を吐きながらパスタを口に運ぶが、頭の中がゴチャゴチャして味なんか分かりやしない。  恥ずかしいやら情け無いやら、穴があるなら入りたい気分だ。 「どうしよう……」  茉理は不安そうな顔で、思案に沈んでいた。  出来れば、あまり見たくない表情―― 「とりあえず、飯食ったら病院に行くか。本当にその毒キノコの所為か、確かめないとな」 「でも……」  おそらく誰もが考えるだろう提案をしてみるが、茉理の表情は一向に晴れない。 「でも、なんだよ? 病院に行くのが一番確実だろ?」 「もし病院に行く途中で、また直樹がおかしな事しだしたらどうするの?」 「それは……」 「また無理矢理髪の毛を結ぼうとしたら、病院じゃなくて警察に着いちゃうかも」 「…………悪かったって」  茉理はまだあの事を怒っているらしい。  記憶の無い間の俺は、えらい事をしてくれたもんだ。 「車があればなぁ」  茉理はぼやくが、今日も渋垣夫妻は遅くなると言っていた。 「しょうがない。出来る範囲で情報を集めよう」 「情報を集める、って……どうやって?」 「"あれ"は家計簿をつけるだけのものじゃないだろ?」  そう言って俺はリビングの隅にあるデスクトップパソコンを指差す。  滅多に使わないが、確かインターネットに接続できるようにしてあるはずだ。 「そうだね。何か分かるかも知れないし」 「その前に飯、だけどな」 「あはは。うんっ」  やっと茉理が笑顔を見せてくれた。  俺は心の中で胸を撫で下ろす。 「あれ……?」  そこで俺は違和感に気付いた。  心の中に、安心以外の感情がある。  胸の奥から湧き上がるような――強烈な衝動。 「直樹……?」  茉理は心配そうな目で俺を見る。  俺は茉理に何か言って安心させてやりたかったが、どんどんその"衝動"は大きくなる。  眠くないのに、意識が薄れていく。 「こんな……」  やがて俺の意識はうすっぺらになり―― 「どうしたの、直樹っ」  消えた。 「こんな……」 「こんな……何?」 「こんな美味い飯が食えるかっっ!!」 "ドンガラガッシャーン!"          #         #         # 「ぜぇ……はぁ……」  茉理は肩を上下させ、荒く息を吐く。  そんな茉理の下には、ひもでグルグル巻きにされた直樹が転がっている。 「解けっ。解か無いと俺が酷い目に合ってるぞっ」 「……黙ってなさい」  突然暴れだした直樹を危険と判断した茉理は、動きを拘束する為にひもで身体の自由を奪ったのだ。  正確には暴れたのではなく、ちゃぶ台返しをしようとして失敗し、思いっきりずっこけた直樹がもがいていただけなのだが。 「まったく、『こんな美味い飯が食えるか!』って、一体何だったらいいのよ……」  さっきまでの心配そうな表情はどこへやら、茉理さんは御立腹である。 「そりゃ勿論茉理のラブジュー……おぶっ!」  容赦の無い一撃。  多感なお年頃の茉理には、この手の耐性は無いのだ。 「……とりあえず、移動ね」  異常な状態になってしまった直樹との会話程不毛なものはないと悟った茉理は、直樹をずりずりと引きずりながら移動を開始する。  "ゴツン ガンッ ゴッ"  角を曲がるたびに、直樹の身体のどこかが壁や角にあたった。 「いたたっ、茉理っ、もっと優しく……あがっ……そ、そこはダメぇ」  馬鹿な事を言っている直樹を無視して茉理は階段を上がる。  "ガンッ ガンッ ゴツッ" 「いってぇ! 玉打ったぞ球! エンタイトルトゥーベースっ!!」  そんな当たりはどうでもいい。  茉理は直樹の部屋に入ると渾身の力をふりしぼって直樹をベッドの上に乗せ、余っているひもでベッドにくくり付ける。 「ぼ、ボクチンハ宇宙最強ナノデ緊縛サレル必要ハ……」 「それはもういいから」  最早慣れたと言った感じで、茉理は直樹の言葉を遮る。 「とにかく、大人しくしてないさいねっ」 「待つんだまつりん。要求された金なら用意……」  "バタンッ"  茉理は早足で直樹の部屋を後にした。          #         #         # 「…………」  見慣れた天井。  かぎ慣れたベッドの匂い。  柔らかい、枕の感触。  全部いつも通りだった。  ただ違うのは……。 「なんで俺は縛られているんだ?」  何故か俺はひもでぐるぐる巻きにされ、身体の自由を奪われていた。  おそらく犯人は茉理だろうが、記憶の無い間に一体何があったというんだろう。  "バタンッ"  そうこう考えていると、風呂上りらしい茉理が部屋に入ってきた。 「あ、ちゃんと大人しくしてるみたいだね」  ピンクのパジャマを身に着け、髪を下ろした茉理は俺を見て満足そうに言う。 「おい、これはなんだ? 解いてくれよ」  うねうねと身体を動かし、全身で抗議する。 「暴れるからダメ」 「暴れないから」 「保証できるの?」 「……出来ないけど」 「じゃあダメ」 「頼むってば」 「ぜっっったいにダメ!」  茉理の拒絶具合から察するに、俺はまた変な事をして茉理を困らせたんだろう。  そう考えると納得は出来るが、些か切ない。 「……いつまで俺は縛られてればいいんだ?」 「うーん、明日の昼過ぎぐらいかなぁ」 「マジっすか……」  明日までこの状態なんて、拷問以外のなにものでもない。 「あと、また変になっちゃうといけないから、今日は一緒に寝るからね」 「…………なんですと?」  茉理の発言に、俺の頭はフル回転する。  一緒に寝ると言う茉理。  ベッドにはぐるぐる巻きにされている俺。  二つの点が、線で結ばれる。 「直樹? どうかした?」  二人一緒のベッドで寝るというのは一度や二度の事ではない。  マンネリ化してるのも事実ではあるが……まさか……いや、その可能性も捨て切れまい。 「茉理……お前、もしかして……」 「え?」 「その……SMプレイに興味あるとか……?」 「…………また直樹が変になっちゃった」  茉理は呆れ顔でがっくりと肩を落とす。 「まて、俺は正常だっ」 「はいはい、おやすみー」  部屋の明かりが消され、茉理が俺のベッドに入ってくる。 「茉理、そんなに恥ずかしがらなくても……」 「すぅー、すぅー」 「だ、大丈夫だぞ。俺はMっ気もあるみたいだし」 「ぐぅー、ぐぅー」 「どうして何も言ってくれないんだぁっ!!」  俺の叫びは、暗い闇の中へと消えていった。          #         #         #  優しい日差し。  緩やかな坂。  足元をくすぐる、小さな花たち。 「こらっ、まてってばっ」 「あははっ、直樹足おそーいっ」  アルプスを連想させる高原を走る二人。 「よーし、捕まえたっ」 「うわわっ」  柔らかな草の上をもつれあって転がる。  ゴロゴロ回転したあと、二人は大の字になって果てしなく青い空を仰いだ。 「なぁ、茉理」 「何? 直樹」 「いつ、結婚しようか?」 「あたしは、いつでもいいよ」  プロポーズも無いのに、二人の中ではいつか一緒になる事が決まっている。  それが嬉しくてか、茉理は直樹の手をギュッと握った。 「やっぱ、ちゃんと稼げるようになってからか?」 「それより大事な事があるでしょ?」 「あ、分かったぞ」 「はい、お答えをどうぞ」 「お前を幸せに出来るようになったら……だろ?」 「あははっ、じゃあ今すぐに結婚だねっ」  茉理はぐるりと転がって直樹の胸板を枕代わりにする。 「俺さ、実はもう子供の名前まで考えてあるんだ」 「何なに? 教えてよ」 「男の子でも、女の子でも合う名前でさ……」 「うんうんっ」  直樹はもったいぶってそこで言葉を区切る。 「もうっ、早く言ってよぉ」 「あはは、焦るなって」  茉理はガバッと起き上がると、直樹に覆いかぶさった。 「早く言わないと、唇……塞いじゃうからね」 「待てって、ちゃんと言うから」 「だーめ、待たない」  どんどん茉理と直樹の唇が近づいていく。  そして唇が触れる寸前に、直樹は茉理の待ち望んでいた言葉を紡ぎだす。 「ハミガキコ」 「はあ?」  世界が、暗転した。          #         #         # 「う、う〜ん……」 「ハミガキコーハミガキコー」  カーテン越しの光がまぶしく、疎ましい朝。  茉理は呪詛のような声で、強制的に覚醒させられた。 「あ、あれ……?」  隣に居るはずの直樹の姿が無い。  一体どこに――と思ったところで、視界の端に動く影を見つける。  茉理は大慌てで振り向く。 「ハミガキコーハミガキコー」  直樹は「ハミガキコー」と連呼しながら、"全裸で乾布摩擦をしていた"。 「おはよう、茉理」  直樹は白い歯でキラリと輝かせつつ、茉理に言う。 「お前も一緒にどうだ?」 「やらんわぁっっっ!!」  "ばっかーん"  史上最悪の一日は、こうして始まった。          #         #         # 「ふ〜ん、それで久住くん、今日は休みなんだ」 「そうなんですよ……」  雀たちの鳴き声がすがすがしい、朝の通学路。  美琴に出会った茉理は、事の次第を話していた。 「でも久住くんがあれ以上変な事言い出すなんて、ちょっと見てみたいかも」 「いやいや、本当に大変なんですよ……暴れだしますし」 「ええっ、そんな危険な状態なの? 家に放って置いて大丈夫?」 「大丈夫です。ちゃんと雁字搦めにしておきましたから」  そう言って力こぶを作る真似をする茉理。 「ところで茉理ちゃん。その問題の久住くんなんだけど……」  ふと、美琴が歩くのを止めて茉理の向こう側を見る。 「はい?」 「後ろから歩いてくるの。あれ、久住くんじゃないかな?」 「は……? え、ええっ!!」  茉理は目を疑った。  家で束縛されているはずの直樹が、いかにもいつも通りといった感じで歩いてくるのだ。 (あれだけきつく縛ったのに……なんで?)  茉理が固まっている間にも、直樹はどんどんと近づいてくる。 「な、直樹っ」 「よう茉理。置いていくなんて酷いじゃないか」 「なんで学校に来てるのよっ!」 「はあ? 何言ってんだよ。今日は月曜日だから学校あるだろ?」 「そういう問題じゃ……」  今にも口論が始まりそうな雰囲気の中、それを打ち消すかのように美琴がチョイチョイと茉理をつつき、唇を耳に寄せた。 「ねぇ、茉理ちゃん。あれってさっき言ってた『正常時』になるわけかな?」 「わ、分かりません。判断が難しいところです」  二人でこそこそと囁き合う。  そこにいつの間にか近くに居たちひろが声をかける。 「あ、久住先輩。おはようございます」 「ウホッ、いい挨拶……   交 わ さ な い か ? 」 「あ、え、えっと……あの」 「美琴さん……ダメみたいです」 「あっちゃー……」  手のひらを目にあて、こりゃ参ったのポーズをとる美琴。  そんな美琴に、茉理は真摯な眼差しを向け、言った。 (家に連れて帰ろうにもあたしの力じゃ無理だし……こうなったら……) 「美琴さん……直樹をお願いします」 「え、ええっ。久住くん、家に帰した方がいいんじゃないの?」 「でも、あれだけ頑丈に縛っても抜け出してきちゃったんです。もう学校に行かせるしか……」 「う、う〜ん……」  美琴は悩んだ。  自分が、直樹をセーブ出来るのかどうかは分からない。 「分かったよ。私に任せておいて!」  そして数秒の苦悩の末、美琴は英断を下した。  それが、愚挙だとも知らずに―― 「美琴さんっ」 「茉理ちゃんっ」  二人は固い握手を交わす。  今日という一日を、無事に過ごせますように。  そう、二人は祈った。          #         #         #  一限目の古典の授業。  早くも二人の祈りは、神に届く前に消え去ろうとしていた。 「では教科書の91Pから93Pを読んでくれる人はいますか?」 「はいっ!」 「はい、では珍しく手を上げた久住君に読んで貰いましょう」  学生に問いかける結に、それに即答する直樹。 「なっ……」  美琴はマズイと思ったが、一体どうすれば逡巡するだけで、具体的な解決策は思いつかない。  そもそもこういった事態は予測できたはずなのに、美琴はちっともその事を考えていなかったのだ。 「はい、では読みます」  そうこうしている間に、直樹はいかにも優等生といった感じで音読を宣言し、コホンと咳払いをした。 「マリアンヌッ。そっちに行ってはダメッ!  えっ?  BWOOON!!  きゃあああああ!!  まっ、マリアンヌーーー!!  ズゴォォォーーー! ガッシャン。  パラパラパラ……。  許さない。二キータ、貴方は何があっても許さないわっ!!」 「く、久住君っ!? な、何を読んでいるんですかっ」 「漫画ですが、何か?」 「何か? じゃありません! 私は教科書を読んで欲しいんですっ」 「なんだ。それなら最初からそう言ってくださいよ」 「最初から言ってましたけど……」  呆れ顔の結の事など気にも止めずに、直樹はまた咳払い。 「ではいきます。  雅夫が激しく陽子の中をかき回すと、陽子は堪らず甲高い喘ぎ声を漏らす。  『ねぇ、あたしもう我慢できないわ』  その言葉を待ちわびていた雅夫はゆっくりとズボンを……」 「くくくくくく、久住君っ! 一体何を読んでるんですかっ!!」 「官能小説ですが、何か?」 「私は教科書を読むように言ったんですっ」 「これが俺の教科書だっ!!」 「そ、そんな事言われても……」  頬を赤らめて困る結。大爆笑する男子。明らかに厭そうな顔をする女子。  美琴は頭を抱えるしか無かった。          #         #         # 「ねえ、なおくん、ちょっといつもと違うんじゃない?」 「ああ、俺もそう思うよ」  そして案の定、授業が終わると保奈美と弘司が直樹と美琴の元へと訪れ、疑問を口にしていた。 「そ、そうかなー、あはは……」  美琴は別に隠す必要はないのに、直樹が毒キノコを食した事を話さない。  美琴回路が、『こういう事は隠し通してこそ学園生活の華』という判断を下してしまったからである。 「ぐー……かー……」  そして当の本人はと言えば、授業終了とともに現実世界をエスケープしていた。 「いつもの直樹なら、漫画を音読したところで止めると思うんだけどな」 「うん、いくらなんでも授業中にアレは……」  呆れる弘司に、頬を赤らめる保奈美。 「く、久住くん、昨日寝るのが遅かったって言ってたから、きっとその所為じゃないかな。あは、あははは……」 「本当にそれだけかなぁ」 「う〜ん……」  冷や汗マークが顔についていそうな美琴に、二人は訝しむ。 (ま、マズイなぁ……)  茉理に「任せておいて!」と宣言した手前、なんとか直樹に無事に学園生活を送らせねばならない。  美琴は架空の冷や汗マークを払拭する。  "キーンコーンカーンコーン" (茉理ちゃん……約束は守るからねっ)  二限目の開始を知らせるチャイムに、美琴はそう誓った。          #         #         #  四限目。深野順一――通称フカセンが受け持つ数学の授業。  "がららっ" 「はい。みなさん、席に着いてくださいね」  だがそこに現れたのは数学担当の深野ではなく、結だった。  いつもならここで直樹が「先生、教室間違えてますよ」と一言何か言うところだが、彼はあれからずっとお花畑を走り回っているので誰も何も言わない。  皆が口を閉ざすのを待って、結はゆっくりと喋りだす。 「えー、本来なら数学の授業なんですが、深野先生はご家族の方が病気という事で、今日はお休みしています」  結の言葉を聞き、美琴は心底安心した。  二、三限目の教師は直樹を起こそうとはしなかったが、深野となれば話は別だからだ。 「という事で、本来は自習になる時間ですが、古典が他のクラスに比べて遅れているので……」  結がそこまで言ったところで、教室のあちこちからブーイングが興る。  教師になって二年目の結は、流石に慣れたのか「15分だけですから」と軽くいなし、授業を開始した。 「はい、では教科書の94Pから96Pまで読んでくれる人は……」 「はいっ」  美琴に戦慄がはしる。  隣で夢魂の世界に旅立っているはずの直樹が、威勢良く手をあげたのだ。 (今度こそ……止めるっ!)  美琴はグッと手を握り込み、拳を作る。 「トイレに行ってきても……」 (しまったっ。意外と普通のボケ!?)  そう思ったところで既にモーションに入っている美琴が止まれるはずもなく、拳は見事に直樹の鳩尾にクリーンヒットしていた。 「あべしっ!!」 「あああ、天ヶ崎さんっ!?」 「あ、いえ、その、これは……」  突然の美琴の行動に驚く結に、どう説明すればいいのか迷う美琴。 「そのっ、久住くんに、『ボケたらちゃんと突っ込みを入れてくれよ』って頼まれていたのでっ」 「そ、そうなんですか? 久住君、なんだかぐったりしてますが……」 「えっと……昨日あんまり寝てないって言っていたので、その所為だと思いますっ」 「あの……明らかに天ヶ崎さんの"突っ込み"の所為だと思いますけど……」 「えっと、えっと…………ああっ! 空飛ぶプリン!!」  誤魔化す術を無くした美琴は、外を指差して適当な事を言う。 「えっ? どこっ? どこですかっ?」  そして思いっきり窓の外を見る結。 「……って、プリンが空を飛ぶわけがないじゃないですか!」  目標を発見出来なかった結は我に返り、真っ赤になって怒る。  だったら外を見なければいいのに、と美琴は思ったが、それでは結の気を逸らす作戦は失敗である。 「天ヶ崎さん。嘘はいけませんよっ」 「は、はい、すいません……」 「分かればいいんです。……では授業を再開しましょう」  直樹の事などすっかり忘れて、結は授業を再開する。  『直樹<プリン』という構図が明らかになった授業だった。          #         #         #  昼休み。 「そうですか、そんなことが……」 「うん……結構あやしまれてるみたい。ごめんね、茉理ちゃん……」 「いえ、こちらこそ、無理にお願いしてしまって……」  直樹の様子を見に3年の教室にやってきた茉理は、美琴から授業中の様子を聞かされていた。 「それで、今から保健室に連れていこうと思うんです」 「はぇ?」  茉理に言葉に、疑問符を浮かべる美琴。  『こういう事(中略)の華』という持論を持つ美琴には、茉理の考えが理解出来ないのである。 「う〜ん。茉理ちゃんがそう言うんなら」 「はい、では行ってきます。後はよろしくお願いしますね」 「うんっ、上手く言っておくよ」 「ほら、直樹。いくよっ」 「ハゲチョンマゲチョン♪」 「こらっ、髪の毛ひっぱらないのっ」 「わー、まつりんが怒ったー♪」 「…………本気で怒るわよ?」  一体あれはなんなんだ?という視線を集めながら、二人は保健室へと向かった。          #         #         # 「へぇ、毒キノコをねぇ……」 「そうなんですよ……」  『体験版配布中』という札のかかったドアを開け、『逝ってらっしゃい』と書かれたマットを踏み越え、二人は保健室を訪れていた。  茉理から事情を聞いた恭子は、コーヒーを一口飲むと、直樹の方を向く。 「ふ〜ん、久住も大変ねぇ」 「そうなんだよー。もうマイッタケ! なーんちゃって」 「……ホントにこれ、預からなきゃダメなの?」 「……保健室ですから」  薄ら寒い親父ギャグを飛ばす直樹に、本当に嫌そうな顔をする恭子。  だが茉理としては、保健室で預かってもらわないと心配でしょうがないのだ。 「まぁ、渋垣の頼みじゃ断れないしね。いいわ、放課後までは私がちゃんと面倒みてあげましょう」 「はいっ、よろしくお願いしますっ」 「よろしく頼むぞ。コーヒー好き」 「……なんか腹立つわね」 「そ、それじゃあ頼みましたからっ」  "ばたんっ"  茉理はそれだけ言って、保健室を出て行く。  本日、結はカフェテリアで食事を取っているので、保健室は直樹と恭子の二人っきりである。 「おい、コーヒー」 「……なによ、毒キノコ」 「オレ、ハラヘリ、ヘリハラ」 「あー、そう言えば今日は渋垣お手製のお弁当がないもんねぇ。ちょっと待ってなさい」  そう言って恭子はファイルの山の向こう側にある箱を手に取った。  箱には滑らかな字体で『きゃろりーゲッツ!!』と書かれている。 「はい。固形栄養食で良かったら」 「おお、コーヒー。気が利くじゃないかぁ」 「……はいはい」  普段の恭子なら今頃直樹の言動に対して怒り狂っているだろうが、今の直樹は中毒患者。  恭子は大人の態度でもって、直樹に接していた。 「あ、それとコーヒーをブラックで貰えると、ボクの中で恭子ちゃんポインツが急上昇間違い無し風味じゃないカナっっっっ!!」 「……分かったからそのテンションどうにかしてよ」  恭子は溜息を吐きながらコーヒーを淹れる。  すぐにでも解毒剤を作ってやりたくなったが、そもそもウイルスと毒素では分野が違う。  それに解毒剤を作っている時間があったら、とっくに毒素が抜けていくのである。 「はい、コーヒー」 「うふふ、恭子ちゃん、ありがとう。うへへへへ……」 (ホント……性質の悪い毒だわ……)  思わず吐きそうになった溜息を押し殺し、恭子は残り少なくなったチョココロネを一気に口に放り込む。  直樹はガツガツと固形栄養食を食べ、コーヒーを一口飲むと、ボソリと呟いた。 「……入ってない」 「えっ、何?」 「母乳が入ってないっっ!!」 「はあぁ!?」  直樹のあまりに突拍子のないクレームに、恭子は素っ頓狂な声をあげる。 「あ、あんた、ブラックでって言ったでしょうが……」 「ヤダ。母乳が入ってないとコーヒーじゃない」 「そんな事言っても、無いものは入れられないわよ」 「ええいっ、貴様の胸は何の為についているっ!」 「少なくともあんたの為じゃないわよっ」 「童謡でも歌っているじゃないか。『ヤリ出せシル出せ母乳出せ〜♪』って」 「そんな卑猥な童謡があるわけないでしょっ!」  さっきまでの大人の態度はどこへやら、恭子は声を荒げていた。 「ふんっ、仕方ない……こうなったら」 「な、何よ……?」  直樹は急に落ち着いた様子になり、恭子を見据える。  直樹の瞳が、厭な光り方をしていた。 「母乳が出るようにするまでよっ!!」 「きゃああああああああ!!」  悲鳴が、保健室を満たした。          #         #         # 「失礼しまーす。……あれ、仁科先生、直樹は?」  放課後になり、茉理は保健室を訪れる。 「……そこのベッドで寝てるわ」 「あ、良かった、大人しくしてて」  茉理がベッドの方を覗くと、直樹は毛布を顔までかぶり、ぶるぶる震えていた。 「コーヒー怖い……コーヒー怖い……」 「…………あの、仁科先生……」 「……何?」  恭子は茉理の方を見ないで返事をする。 「……ご迷惑をおかけしました」 「……いえ、私もちょっとやり過ぎたわ」 「コーヒー怖い……コーヒー怖い……」  茉理は直樹を無理矢理引き起こすと、逃げるように保健室を後にした。          #         #         #  次に茉理が訪れたのはカフェテリアだ。  本当なら直樹を家に連れて帰りたかったが、今日は運営委員会の要員が非常に厳しい状態だった。  勿論茉理は誰かに代わってもらおうと思い、運営委員会の友人に声をかけたが、皆予め申し合わせたかのように用事を持っており、それも侭ならなかったのだ。 「あれ、直樹。もう大丈夫なのか?」  いつものように直樹が天文席に着くと、弘司が直樹の身の上を案ずる。  美琴の働きかけで、直樹は体調不良を理由に保健室に行った事になっているのだ。 「も、もう大丈夫なんだよね、久住くん?」 「いや、大丈夫もなにも最初から……」 「なんだ、やっぱりサボりだったのか。よく仁科先生が見逃してくれたなぁ」  美琴のフォローも虚しく、何がなんだか分かってない直樹は正直に答える。  ガックリと肩を落とした美琴は、それでも少し安心していた。  今の直樹は、正気のようである。 「あ、みなさん集まってますね」  そこにいつものように結が現れる。  今日は片手にプリントのようなものを持っていた。 「結先生。そのプリントは何ですか?」 「次の観測会についてです。いつも部長さんに任せているだけではいけないと思って」  結はオーダーを取りに来たウェイトレスに自家製プリンを注文すると、持っていたプリントを天文席にいる全員に配る。  プリントの上に方には、大きく太い字で『デンパー座流星群観測会について』と書かれていた。 「それでは説明を始めますよ。まず開催日時は来月の…………久住君?」 「なんでしょうか」 「どうして今配ったばかりのプリントで紙飛行機を作っているのでしょう?」 「はっ、プリン中毒患者に紙飛行機のロマンが分かって堪るか」 「あわわわわ……」  直樹はちっとも正気ではなかった。  美琴はどうしよう、どうしようと周りを見渡すが、近くに茉理の姿はない。 「くくく、久住君っ」 「分かるかよ……分かるはずがねぇんだよ……紙飛行機の良さがよぉ……」 「直樹、なんで受け入れられない男の悲哀を感じさせる台詞なんだ?」  弘司はこんな時でも、的確なツッコミを入れる。  その間にも結はどんどん顔を真っ赤にさせていった。  無理もない。折角作ったプリントをおもちゃにされた上、プリン中毒患者呼ばわりされたのだから。 「久住君! 何ですかっ、人の事をプリン中毒患者なんて呼んでっ!!」 「へっ、違うのかよ? オールで全ての全ユニバーサルに誓って違うって言えるのか?」 「そ、それは……言えませんけど……」 「それみろティーチャー。ユーはプリン中毒患者なんだよ」  そこまで言うと、天文部の面々は黙り込んだ。  丁度ウェイトレスが結の頼んだ自家製プリンを持ってきたところだったが、あまりの雰囲気に「お、おまたせしました……」と蚊の鳴くような声で言ってさっさと下がっていった。 「「「「…………」」」」  得体の知れ無い雰囲気が周りの席まで漂う中、直樹はおもむろに餃子用のニンニクの瓶を手に取る。 「これは俺からの餞別だ」  何の餞別だか全く分からないが、直樹は届いたばかりの自家製プリンにニンニクを載せた。 「…………」  結、絶句。 「ついでだ」  更に直樹は美琴の杏仁豆腐にまでニンニクを載せる。 「…………」  美琴も、絶句。  そんな二人を見て、直樹は言った。 「スタミナたっぷり。やったね!」  キラリと白い歯を輝かせ、グッと親指を立てる。  二人は椅子を跳ね飛ばすような勢いでガバッ立ち上がると、声を揃えて言った。 「「くーーずーーみーーく〜〜ん!!」」  直樹の事を頼まれていたはずの美琴も、見るも無残な杏仁豆腐の前に我を忘れ、怒る。  直樹は二人に合わせて立ち上がり、腕を組んだ。 「お、おい、直樹……」 「よかろう。どこからでもかかって来い」  弘司の声を無視した直樹は、無意味に自信に満ちた表情で言う。  何故そこまで自信に満ちているのかと言えば、それは彼が『宇宙最強』だからだろう。 「「許さない……」」  二人は恐竜のような迫力で直樹に一歩近づく。 「うわぁぁーーーん! 怖いよーーーっ!!」  すると直樹は物凄い勢いで逃げ出した。  それはもう、芸術的なまでに矛盾した行動だった。 「「待ちなさーーいっ!!」」  逃げる直樹を、追いかける美琴と結。  先頭を走る直樹の前に、レジ担当のウエイターが立ち塞がる。 「お、お客さんっ、お勘定っ」 「渋垣茉理の給料から引き去りでっ。うわぁぁーーーん!!」  "どがすっ"  泣きながらウエイターを突き飛ばし、直樹は走る。 「「まて〜〜〜!!」」  "ゲシゲシッ"  倒れたウエイターを踏み越えて追いかける二人。 「…………」  三人の去ったカフェテリアは、埃と静寂だけが残されていた。          #         #         #  そして三年後―― 「……って、そこまで話が飛ぶかっ」  そこには居ない誰かにツッコミを入れる直樹は、命辛々カフェテリアを逃げ出した後、温室に来ていた。 「ちひろちゃん居るかな……? うへへへ……」  危険な匂いのする発言をしつつ、直樹は温室のドアを開ける。  "キィ……" 「あ、久住先輩。いらっしゃい」  温室の中では、体操服姿のちひろが一人で作業をしていた。 「やあ、ちひろちゃん頑張ってるかい?」 「はい、順調に進んでます」 「何か手伝おうか?」 「あ、いえ、もうすぐ終わりますから。ちょっと待っていて下さい。美味しいハーブティーが手に入ったんですよ」 「そう、それは素敵だね」  直樹は英国紳士気取りの口調でちひろと会話する。  「じゃあ、ちょっと待たせてもらうね」と言い沿えた直樹は、色とりどりの花が咲く温室を練り歩く。 「スーンスーンスーン♪」  直樹は陽気に鼻歌を口ずさみながら、花の一本一本を見る。  やがてそれにも飽きてきた直樹は、一本のチューリップの前で屈み込んだ。 「チューリップ、君に決めたっ!」  すると直樹はモンスターボォルの如くポケットのからニンニクの瓶を取り出し、チューリップの花弁にニンニクを装った。 「ウホッ、いいお花……   咲 か な い か ? 」  チューリップにしてみれば、『もう咲いとるわ。つーかニンニク載せんなよ』という話である。  調子に乗った直樹は、チューリップの両隣の花にもニンニクを載せた。 「うふふ、素敵よ、貴方達……」 「久住先輩。さっきから何を一人で喋ってるんです?」  ブツブツ喋っている直樹を不審に思ったちひろは、直樹に居る方へ近づいてくる。 「いや、別に大した事は……」 「きゃああああ!!」  ニンニクの載せられた花達を見て、悲鳴を上げるちひろ。  その光景は、それ程彼女に取ってショッキングな事だったのだ。 「く、くくっ、久住先輩っ、一体何をしてるんですかっ!?」 「何って……虫除け」 「それじゃ虫じゃなくて人が除けちゃいますよっ」 「マヂで?」 「マジですっ」  マジで超怒っちゃったちひろは、らしくもなく声を荒げる。 「どうしてそんな事するんですかっ!?」 「どうしてって……あ、もしかしてちひろちゃん嫉妬してる? ちひろちゃんも載せる? ニンニク」 「…………久住先輩」 「一杯載せとくぅ?」  一昔前のCMを真似て言う直樹。  プルプルと震えるちひろ。 「一杯載せ……」 「もういいですっ、帰って下さいっ!」  こうして直樹は温室からまでも追い出された。          #         #         # 「みんな、冷たいナァー」  行き場を無くした直樹は、人気の無くなった校舎をぶらつく。  歩みは、家庭科室の方へと向かっていた。 「そして残されたのはほなみんだけなのサァー」  やがて家庭科室の前に着くと、直樹は勢いよくドアを開ける。  "がららっ" 「試食係、久住直樹。ここに検算っ」 「あ、なおくん、いい所に来たね。ちなみに検算じゃなくて見参だよ」  ツッコミも忘れない完璧超人保奈美は、丁度オーブンからクッキーを取り出した所だった。  直樹は浮ついた足取りで、いつも試食するときに座っている席に座る。 「ほなみぃーー早くぅーー」 「……なおくん、今日は何かおかしいんじゃない? 授業中もそうだったけど……」 「気の所為だ。さあ、早く食わせてくれ」  心配そうな目をする保奈美と、不審がる料理部部員達の視線をよそに、直樹は試食をせかす。 「そうかなぁ……。はい、今日のは料理部全員で合作したんだよ」 「オゥイェ! いっただっきまーすっ」  直樹は保奈美の話を聞いているのか聞いてないのか、出されたクッキーを一気に4つ口に放り込んだ。 「今日はね、全員で初心に返って料理をしようっていう事で、クッキーを作ったんだよ」 「藤枝先輩が指揮をとって作ったんですから、美味しい事間違いなしです」  保奈美と部員の説明を聞きながら、直樹はモゴモゴと大きく口を動かし、咀嚼する。  よく味わってから嚥下した直樹は、感想を述べる。 「…………ケッ」  それは途轍もない感想だった。  家庭科室の時が、一瞬にして凍てつく。 「ツマラン……このクッキーはツマランッッ!!」 「な、なおくん……」 「ちょっと先輩! それはないんじゃないですか!?」  直樹の理不尽な酷評に憤慨した部員の一人が、食って掛かる。 「みんなで力を合わせて作ったクッキーなんですよ!? それをつまらないの一言で片付けるなんてあんまりです!!  何かダメなところがあるんなら、アドバイスするとかあるんじゃないですか!?」 「アドバイスだと? そんなんだからツマンネェって言うんだよ……」  直樹はゆっくりと立ち上がると椅子の上に上って、保奈美を含む部員達に向かって言った。 「いいかっ、貴様等の料理はツマランッ!  貴様等の料理は手本を目標とし、人に言われるがまま改良を加えた、オリジナリティの欠けた料理であるっ!  かの名店を生み出した料理人達を見てみろ! 彼らの料理はありふれたメニューだったとしても、完全にオリジナルの料理だっ!  これがどういう事か分かるか!?」  急に演説を始めた直樹に、唖然とする一同。  直樹の演説という名の妄言は、更にヒートアップする。 「彼らは料理に向かってチャレンジし続けた。既存の方法等に頼らず、新たな食材、新たな調理法で、味と名誉を勝ち取ったのだ!  ではこのクッキーはどうだ? チャレンジしたか? 経験と知識だけで作ったんじゃないのか?  だからツマラナイというんだっ! どうだ、ここまで言われて悔しくないか? 悔しく無いはずがないだろう?  俺はここに"創作料理大会"の開会を宣言するっ!!  悔しかったら、俺を納得させる、オリジナリティ溢れるインパクトのある料理を作ってみせろっ!!」  直樹が咆哮を上げた後、再び家庭科室に沈黙が訪れる。  料理部の面々は、これ以上無いくらい真剣な表情をしていた。 「な、なおくんっ! ……みんなごめんね。今日のなおくん、ちょっとおかしいみたいなの。さあ早く片付けを……」 「待ってください、部長!」  なんとか場を収めようとする保奈美に、先程直樹に食って掛かった部員とは違う部員が言う。 「私達だってアマチュアとはいえ、料理人の端くれです! あそこまで言われて悔しくないわけがないじゃないですか!!」 「そうですよ! 久住先輩を納得させる料理を作るまで帰れませんよ!!」 「私も! 先輩にうんと言わせるまで帰りません!!」  次々に「私も! 私も!」と声をあげる部員達。  部員達の声を真摯に受け止めた保奈美は、諦めとやる気の入り混じった表情で言った。 「……分かりました。蓮見台学園料理部は、なおくん主催の創作料理大会に参加します!」  歓声を上げた料理部一同は円陣を組み、「蓮見台学園料理部! ファイ、オー! ファイ、オー!!」と盛り上がる。  そんな中椅子を下りた直樹は、クッキーをガツガツと食べながら言った。 「このクッキーおいちぃなぁ。ところであの人達はなんであんなに盛り上がってるんだろう?」          #         #         #  これは……一体どういう事なんだろう? 「さあ、なおくん。どうぞ」  俺の前に置かれた、見慣れない料理の数々。  凄く怖い顔をしている、料理部の部員達。 「と、とりあえず、料理の説明を聞こうか」 「鯖のパイナップル煮。パイナップルの甘さと酸味が鯖の柔らかい白身によく滲みて、絶妙なハーモニーを……奏でている予定なの」 「ははぁ……だからこの鯖は黄色いのか。ところで奏でている予定ってなんだよ?」 「味見するのが怖くて……」 「まあ、気持ちは分からんでもないが……」  白身が黄色くなっている鯖の上に、パイナップルがところ狭しと載っている。  一体俺がおかしくなっている間に、俺は何を言ったんだろう?  いつもの保奈美の料理からは想像出来ない程、独創性に突っ走った一品だ。 「い、いただきます……」  本当にこれを食べなきゃいけないのか?と思ったが、保奈美と部員達の視線はそう思うことすらも許されないほど強烈だ。  一見絶対不味いと思われる料理だが……保奈美の料理だ。もしかしたら美味いのかも知れない。  いや、絶対美味いに決まっている! 信じる者は救われるんだ!  俺は覚悟を決めて黄色い料理を一口食べる。 「うぐぉ……」  全然救われなかった。 「どう、なおくん? オリジナリティに溢れているかな?」 「そ、それはもう、強烈に……」 「インパクトは?」 「一生忘れられねえよ……」 「「「「やったーー!」」」」  俺の言葉を聞いて、一斉に喜びの声を上げる料理部一同。  ……こいつらそんなに俺をいじめて楽しいのだろうか? 「でも……」 「え、何? なおくん」  声を出す俺に、再び部員達の視線が集まる。 「もうちょっと、普通の料理が食べたいなぁ……」 「「「「はあ!?」」」」  声を揃えて怒る部員達。泣きそうな程怖い。 「ちょっと! 先輩が創作料理大会って言ったんじゃないですか!!」  そんな事言ってたんかい、俺。 「さあ、次は私の料理を食べて下さいっ」  そして俺の前に新たな料理が出される。  一見豚汁らしいが、中に輪切りにされたキウイが浮いていた。  イモ類の代わりに、苺がゴロゴロと転がっている。 「り、料理の説明を……」 「はい。豚汁のコクのある味わいに、フルーツで清涼感を出して見ました。  よく煮込んだフルーツによって、今までの料理とは違った新しい食感と、革新的な……」 「バカかねキミは?」 「酷いっ。先輩が私達の料理がツマラナイって言ったのにっ」  うわ……そんな酷い事を言っていたのか、俺は。 「さあ、どうぞ食べて下さいっ」 「い、いただきます……」  拒否する事を絶対に許さない視線たちが俺を突き刺す。  俺は決死の覚悟で、煮込んだ為に崩れやすくなっている果実を箸でつまみ、口の中に放り込む。 「げばぁ……」 「先輩、オリジナリティはどうですか? ありますか?」 「つ、突っ走ってるねえ……」 「インパクトはどうですか?」 「トラウマになりそうだ……」 「「「「やったーー!!」」」」  再び歓声を上げる料理部一同。  テーブルの上には、まだまだ沢山の"創作料理"が並んでいる。 「…………」  俺はこっそりと席を立ち、家庭科室のドアに手をかけた。  あんな料理食わされていたら、舌と胃袋がどうにかなってしまう。  "がららっ" 「あっ、久住先輩どこに行くんですか!?」 「ちょっと! まだあたしの料理食べて無いじゃない!!」  案の定見つかったが、俺は構わずダッシュで逃げる。 「「「「待ちなさ〜〜い!!」」」」  待てと言われて誰が待つものか。  保奈美を先頭とした料理部一同が廊下を走る所為で地響きが起こり、それがさらに俺を駆り立てる。 「ぜぇ……はぁ……」  暫く走ると右手に階段が現れた。俺は出口を目指すべく、下りの階段を下りようとするが……。 「久住君……やっと見つけましたよ……」  そこに結先生が立ち塞がる。  結先生は片手にニンニクの載った自家製プリンを持ち、カンカンに怒っている。  何だか分からないが、俺の所為らしい事は分かった。 「くそっ……!」  諦めて俺は上りの階段を見やる。 「久住くん……コノウラミハラサズデオクベキカ……」  するとこちらもニンニクを載せた杏仁豆腐を持った美琴が立ち塞がっていた。  どうやらこれも、俺の所為のようだ。 「何なんだ一体……!」  そうこうやっている間にも料理部一同は俺に迫り来る。  残された道は直進以外無い。 「直樹〜〜っ! よくも飲食代踏み倒してくれたわねーーっ!!」  そして今度は直進方向から茉理が走ってくる。  事情を知っているはずの茉理まで怒らすような事を、俺はやってしまったらしい。 「なおくん……」 「久住君……」 「久住く〜ん……」 「直樹……」  残された道は……どこにも無かった。          #         #         # 「あらまあ……そんな事があったの」 「そりゃ直樹も茉理も大変だったなぁ」  珍しく家族全員が揃った渋垣家の食卓。 「本当に、酷い目にあったんだから……」 「一番の被害者は俺だっつーの」  直樹と茉理は、事の次第を渋垣夫妻に聞かせていた。  直樹達は本当に疲れた様子で、力なく椅子に座っている。 「まあとりあえず毒は完全に抜けてるみたいだが、一応病院には行っておかないとな」  源三はもう済んだ事、とあまり心配していない様子でちびちびと酒を飲む。 「ところで直樹君。本当に晩御飯入らないの?」 「ああ……もう腹いっぱいだから」 「一体何を食べてきたんですか?」  英理は夕飯はいらないという直樹を気遣う。 「鯖のフルーツ煮ニンニク和えに、ニンニクプティング、杏仁豆腐のニンニク和え……」 「あらまあ……」  英理は「本当に大変だったのね」とくすくす笑う。  あれから女性陣に捕獲された直樹は、茉理に説教をくらいながら、ニンニク料理と創作料理を心行くまで"堪能させられた"のだ。 「笑い事じゃないっての……」  直樹は不貞腐れてそっぽを向く。  自然と直樹は、つけっぱなしになっていたTVを見た。  偶然にも、TVには今一番見たくない鯖の映像が流れている。 『本日午後2時に発見され、緊急に注意を呼びかけている"モエモエデンパ鯖"ですが、中毒患者は増える一途を辿っています。  このモエモエデンパ鯖は食用の鯖と非常によく似ており、多数の毒鯖が市場に出回ってしまっている状態です。  日本毒鯖医学会が発表した内容によると、モエモエデンパ鯖は先日発見されたばかりのモエモエデンパダケと同じトンデルーゼを含有しており、  その量はモエモエデンパダケに比べ2倍から3倍で、症状も同じく2倍から3倍の期間続くとの事です。  また先日結成されたトンデルーゼ研究チームは、『ニンニク等に含まれるアリキシンがトンデルーゼと作用して毒性を活性化させる』と発表しています。  くれぐれも鯖を購入する際は、各店の担当者に話を……』  "かちんっ"  食器同士の衝突音が食卓に響く。  全員の動きが、一斉に止まった。 「「「…………」」」  直樹以外の三人は無言でゆっくりと直樹の方を見る。  『まさか、そんなバカな話は無いよな?』と。 「「「「…………」」」」  直樹は重い沈黙を破り、口を開いた。 「い、いや、俺が食べた鯖が毒鯖なわけないだろ?  そんなバカな話があって…………堪るかっちゅーねんムヒョハハハハハハ!!」  『コメディ』と銘打たれたトラジディは、幕を開けたばかりである。 <完>