Title:『酒池肉林』   ...produced by 滝 「……という事で、今年も残すところ一週間。無事新年を迎えられる事を祈って……乾杯!」 「「「かんぱーーい!」」」  直樹が乾杯の音頭をとると、煌びやかな装飾を施した弘司の部屋に、更に煌びやかな声が響き渡る。  クリスマスパーティー兼忘年会in 蓮華寮は、寮生である美琴、ちひろ、弘司、文緒を筆頭に、  保奈美、茉理、直樹といったいつもの面子で、盛大に執り行われようとしていた。  会場となった弘司の部屋の片隅では、ちひろの持ち込んだクリスマス仕様のサボテンが電飾を  チカチカと点灯させ、部屋の中央には保奈美お手製のクリスマスケーキが鎮座している。  酒とケーキ。そんな奇妙な組み合わせを気にも止めず、直樹は一気にグラスの中身を空にした。 「おっ、久住くん。相変わらずいい飲みっぷりだねぇ」 「なおくん。一気飲みは身体に悪いよ」 「久住先輩……すごいです」 「直樹。飲み過ぎても面倒見ないからね」 「へぇ。久住君っていけるクチなんだ」  一人だけ一気飲みをした直樹に、皆が口々に言う。  美琴からお酌を受けながら「まぁな」とだけコメントした直樹に続き、各人はそれぞれのペースでグラスを空けていく。  こうして皆で酒を酌み交わすのも、ゴールデンウィーク以来の事である。 「うう……やっぱり一気には飲めない……」 「茉理、無理して飲まなくても……」 「うわぁ、このケーキ。スポンジが凄く柔らかいよ〜。さっすが保奈美!」 「うふふ、ありがと美琴」  各々が食事を始めると、直樹は目だけを動かして部屋を見渡す。  今回、直樹には3つの画策があった。 「流石藤枝さんね。飾りつけまで抜かりがないわ」  文緒は切り分けたケーキを一口食べ、まじまじとケーキを見ると、保奈美を賞賛する。  ――1.クラスの委員長である文緒の歌唱を堪能する事。  これは今回酒がある事を考えると容易であると考えられる。  なにせ素面の状態で歌を披露したのだから。 「うん、今回はクリスマスケーキっていう事もあるから、大分外観に気を使ったんだよ」  保奈美はケーキの装飾について、文緒に詳しく説明する。  ――2.保奈美が酔うとどう豹変するのかこの目で確かめる事。  これは本当に純粋な好奇心からくるものだった。  思えば保奈美との付き合いは長いはずなのに、保奈美が酔って騒いでいるところ等見た事がないからである。 「…………」  そして弘司は中々早いペースで酒を進めながら、どこか遠くを見るような目で皆を見ている。  ――3.弘司が同じく酔うとどうなるのか、である。  折角杯を交わしているというのに、弘司はテンションが上がるどころか、どこか落ち着いているようなのだ。  それが直樹には気に食わず、余計に酔うとどうなるかという好奇心を煽るのである。  『酔っ払って気分が高揚したり、性格が変わったりしないのは、まだ酒がまわってないだけだ』  という持論を持つ直樹は、しっかりとウォッカのボトルを握り締める。  この考えの所為で後々後悔する事になろうとは、この時に知る由も無かった――     #      #      #  ――一時間後。  酒に弱い連中は既に出来上がっていた。 「……で、そうなったわけですよ。きゃはははは!!」 「あはははは!! そうだったんだー」  茉理はさして別になんでもない話をしては笑い、美琴もそれが心底面白い事のように笑う。  この二人は飲んでもテンションがあがるだけの人種であるらしい。  文緒はというと……。 「で、このチューハイの中に入っている氷は放っておくと溶けるでしょう?  これは地球温暖化の所為。分かる? ドューユーアンダスタン?」 「「は、はぁ…………」」  グラスの中の氷を氷塊に見立てて地球の温暖化とそれによる海水面の上昇の事象についての講義を開いていた。  まだ酔いのまわっていない保奈美と弘司は、どうしたもんだろう?といった感じで相槌を打つだけだ。 「花は愛情を注げば注いだだけ綺麗な花を咲かせてくれるんです。ですから久住先輩ももっと花に対しては……」  そして肝心の直樹はというと、ちひろに絡まれっぱなしだった。  折角容易したウォッカも、ちひろの話が中々終わらない為、その役目を果たせないでいる。 「いいですか、先輩。花に水をあげるときは腰が大事なんです。腰が」 「へ、へぇ〜。腰がねぇ……」 「こう……腰を回転させることによって腕先に生じる遠心力を最大限に活かすことが大事なんです」 「それじゃ温室の床まで水浸しになるんじゃないか? それにとても愛情を込めているようには……」 「久住先輩に何が分かるっていうんですかっ!?」 「あ、あの……ちひろちゃん?」 「私園芸部員! 先輩素人! オーケー?」 「は、はい……」  『何で園芸部の活動を手伝って、感謝されるどころか説教をくらっているのだろう?』  前回、特に変な事もしてない直樹に「女の人には優しくしなきゃダメなんです!」と絡んできた事を考えれば、  ちひろの言動にも納得できそうなものだが、それでもやはりそう思ってしまう直樹だった。 「ちひろってば、また変な事言ってぇ。きゃはははは!!」  ふらりとちひろの近くにあった料理を取りにきた茉理は、何が面白いのか大笑いしながらちひろの背中をバンバンと叩く。  だがちひろはさっきまでとは一転、鋭い目つきで茉理を見る。  その様子に直樹が戦慄を覚えた瞬間、ちひろの口が開く。 「うるさい黙れ!!」  いくら中の人が一緒だからって。  茉理は大きく目を見開いてかたまり、その他も時が凍ったように沈黙した。 「あ、あの……ちひろ?」 「だいたい茉理はいっつも授業中に寝てばかりで……」  そしてまたちひろがブツブツと、今度は茉理に説教を始めると、皆何事もなかったかのように食事に談笑にと戻る。  まるでそれが、ちひろのいつもの姿だと言わんばかりに。 「茉理、なんで私が綺麗にノートをとってるんだと思う?」 「そ、それは……後から見やすいように、とか?」 「違うよ。茉理が授業中寝てるのを見て、あとから茉理に写させてあげる事を考えて書いてるんだよ。  それを分かって授業中寝てるの? 園芸部の活動で茉理と同じぐらい遅くまで残ってて、  授業中だって眠いのを我慢して丁寧にノートをとっているって事を、分かってて授業中寝てるの?」 「ひぅぅ……ごめん、ちひろ。ごめんなさいぃぃ……」  茉理にはさっきまでの騒々しさの欠片もなく、涙目になってちひろから説教を受ける。  面白いような、可哀相になってくるような光景だが、説教から開放された直樹は意気揚々と保奈美達の近くへと移動した。     #      #      # 「よぉ、飲んでるか?」  保奈美と弘司。顔の赤くなってない二人の肩をポンポンと叩きながら言う。 「あ、なおくん。うん、結構飲んでると思うよ」 「俺も委員長のペースに付き合わされて……」 「飲んでるわよぅっっっ!!!」  そんな事言わなくても分かるほど顔を赤くさせた文緒が、弘司の言葉を遮って叫ぶ。  まさか委員長がここまで豹変するとは……と怖気づく直樹に、文緒はグラスを突き出した。 「さあ久住君。一気にいってみましょうか!」 「別にいいけどさ、飲んだら一曲披露してくれるか?」 「え〜え何曲でも歌ってあげるわよ! ほら!!」 「よし、今言ったこと忘れるなよ」  ゴクゴクと、第一の目的の為に直樹は一気にグラスを空け、どうだと言わんばかりにドンとグラスを置く。 「さあ、約束どおり歌ってもらおうじゃないか。あ、ほら保奈美と弘司も飲めって」  直樹は文緒を囃し立てるのと同時に、空に近くなっている二人のグラスにウォッカを注ぐ。  だが二人は比較的アルコール度の高いそれにも咽る事なく、グラスの半分を開けた。  やはりこの二人、相当の猛者であるらしい。 「コホン……では僭越ながら秋山文緒。歌わさせて頂きますっ!!」  文緒はバシッと立ち上がり、拳を天に繰り出す。 「ひゅーひゅー!! 待ってましたっ!!」  さっきまで食べてばかりだった美琴は、フライドチキンを手にしたまま更に文緒を囃し立てる。  秋山さん。貴女の歌なしでこの宴会は始まらないのよ。  美琴の目はそう言っていた。 「それでは皆様。手拍子をお願いしますっ!」  言われて直樹たちは文緒を囲むように座る場所を変え、手拍子を始めた。  なんだか事情が飲み込めて無い茉理達も手拍子に加わり、いよいよ文緒のショウが始まる。  直樹はいったいどんな歌が聞けるのか。と期待に胸を高鳴らせた。 「♪さりげ〜〜なぁくぅーー通学路で散る〜ぅ〜あの白いはーなのこーとー覚えているーかなーー」  直樹は思わずずっこけそうになった。  文緒の歌はそれだけの破壊力を有しているのだ。  音の高さには半音を更に半分にしたクォーターと呼ばれるものがある。  上手く使えば曲にメリハリがつくが、まずメロディーに用いるものではない。  それは文緒はこれを巧みにメロディーに組み込み、ビブラートのビの字も知らない間延びした歌い方で  歌うものだから、強烈なまでの不快感を与えてくるのだ。 「♪Youはモップ! これで〜トイレーー掃除すーるぅ〜〜」  しかも酔っ払っている所為か、途中で曲を変える。  文緒の歌唱力を知らなかった直樹、茉理、保奈美は、文緒の超絶歌唱に耳を塞ごうとするのを自制する他無かった。     #      #      # 「ご静聴、ありがとうございましたぁっ!」  やっと文緒の歌が終わる頃には、3人はすっかり毒されたような気分になっていた。  歪んだメロディーが、頭を離れないのだ。  直樹は『なんでこんな歌を聞きたがったんだ!』と5分前の自分を叱責した。 「エル・オー・ブイ・イー・ふ・み・おっ! きゃー素敵!!」  美琴は一人だけはしゃぎ、文緒を絶賛する。  それも美琴のまわりに散らばる空き缶の数を数えれば得心がゆく事である。 「ということでっ!!」 「うわっ、なんですか美琴さん?」 「2番! 天ヶ崎美琴、脱ぎますっ!!」  流石は天から降ってきた女。  唐突さにおいてはダントツである。 「あ、天ヶ崎先輩。ダメですって〜」  文緒の歌ですっかりの酔いの醒めたちひろが美琴を止めようとするが、間に合わずに美琴はパーカーを脱ぎ捨てる。  直樹と弘司はというと、思いっきり美琴を見ていた。力の限り、美琴を見ていた。  が、勿論この時期に下着の上にパーカーだけのはずがなく、服はまだ一枚残っている。 「うっわーー。美琴さんってば大胆っ!」  さっきまでちひろに説教を食らっていたはずの茉理は、もう調子を取り戻したのか、美琴を捲くし立てるような事を言う。 「「…………」」  保奈美と文緒はと言うと、それぞれ直樹と弘司に睨みをきかせている。  これでもかと言うぐらい目を見開いていた二人は、蛇に睨まれた蛙のごとく固まってしまった。 「天ヶ崎先輩。ほら、男の人もいるわけですし、ここで脱いじゃ……」 「あ、それもそうだよねー。じゃあ男子諸君が今から1分以内でウォッカのボトルを空にしたら脱ぎましょう!って事で」  「それもそうだよね」とか言っておきながら、ちひろの言う事など少しも理解していない美琴は、クレイジーな提案をする。  直樹は部屋を見渡し、ウォッカのボトルを探す。かなり、目が血走っていた。 「…………なんだと?」  直樹がボトルを見つけた頃には、半分は残っていたはずのウォッカが空になっていた。  直樹は咄嗟に弘司を見る。 「弘司……お前……」 「ふっ…………俺も男だっていう事さ」  ナイス弘司! グッド弘司! ビバ弘司!  直樹は心の底から親友の偉業を称えた。 「おおっ、見事な飲みっぷりでしたっ! ではもう一枚―!」 「あ、天ヶ崎先輩ぃぃ……」  ちひろや保奈美が止めるより早く美琴はパーカーを天に放り上げ、残された最後の一枚に手をかける。  服がめくれ上がり、白い肌と臍窩が見えた瞬間――直樹の視界を美琴のパーカーが覆った。 「もごもがっ」  直樹は急いで降ってきたパーカーを退けようとする。 「なおくん……見ちゃダメだからね」  が、保奈美に押さえ込まれてフガフガと唸るだけだ。 「はぁ……やっぱり美琴さんってスタイルいいですよねー……触ってもいいですか?」 「うん、いいよー」 「茉理っ。変な事言ってないで天ヶ崎先輩に服着せるの手伝ってよぉ」  直樹は茉理の言葉に触発されてさらにジタバタともがくが、保奈美がそれを絶対に許さない。  時折聞こえる弘司の「おお……おぉ……」という声に、直樹は物凄く羨ましがり、無駄な足掻きを続けた。 「…………ぷはっ!!」  美琴が服を着終えたのか、直樹はやっとパーカーの呪縛から解放される。  美琴を見れば、やはり元のままであった。 「弘司……!」  『貴様っ、一人だけいい思いをしやがって!!』と直樹は次に弘司を見る。  しかしそこには予想だにしなかった光景があった。 「見ちゃダメだからね……見ちゃ……」 「ギブ……ギブ……」  文緒が弘司に妙な姿勢のヘッドロックをかけ、弘司は壁やらベッドやらに頬を擦り付けられている。  さっきの「おお……おぉ……」という声は、もがき苦しんでいる証拠だったのだ。  真っ赤な顔をした弘司に、直樹は同情した。  弘司は伝説になった。そう思うことにした。 「なーおーくーーん?」  ふと背後から保奈美の優しいようで怖い声が聞こえる。  呼ばれて振り返った直樹は、保奈美を見て瞬時に現状を把握した。  保奈美さん、ご立腹である。 「随分必死にもがいてたね? なおくん」 「俺はいつも必死に生きてるんだ」 「ふーーん?」  無理に自分の姿勢を通そうとした直樹は、保奈美の冷たい反応に勢いを失う。  この場の打開策を思いつく事の出来ない直樹は、とりあえず保奈美のご機嫌を伺うかのようにグラスに酒を注いだ。  “ダンッ!”  一気にそれを飲み干した保奈美は、空になったグラスを床に置く。 「……まったく、なおくんは節操がないんだから」 「おいおい、節操がないって……」 「違うの? なおくんてば、料理部に試食に来てくれたかと思えば、カフェテリアで美琴と楽しそうに  おしゃべりしたり、そうかと思えばちひろちゃんの園芸部の活動を手伝ったり……。  最近は茉理ちゃんが仕事終わるまでわざわざカフェテリアで待ってたりもしてるよね。  そう言えば保健室にもよく行ってるみたいだし、なおくんの行くところは絶対女の人がいるじゃない」  保奈美は直樹が口を挟む隙もない程に捲くし立てる。  その頬には、確かに赤みがかかっていた。 「な、何言ってるんだよ。保奈美らしくないぞ」 「私らしくない? なおくんが私の何を知ってるっていうの?  毎朝なおくんを起こしに行くのに、私は何時に起きてるんだと思う?」 「いや、別に弁当作って貰ってるわけでもないんだから、そんなに早く起きてないだろ?」 「ふふっ、いい度胸してるじゃない、なおくん?」  『いい度胸してるじゃない』  普段の保奈美では絶対に出て来ない言葉だ。  保奈美の目は完全に据わっている。  『まさか保奈美が怒り上戸だったなんて……』  直樹は保奈美の酔った姿が見てみたいなんて思っていた事を後悔したが、それで保奈美の勢いが止まるはずがない。 「まさかなおくん、いつまでも私に起こして貰えるなんて思ってないよね?」 「は、はいぃ……それはもう……」  今まで見た事もない保奈美の様子に、直樹はビビリまくっていた。 「じゃあ自分で起きる努力をしてる?」 「いえ、特には……」 「ふふん、じゃあ私が起こしてあげる」 「……へ?」 「……ただし」 「ただし……?」  据わっていた保奈美の目が、キラキラと輝きだす。 「私と結婚しなさい」  目をキラキラさせながら命令形で求婚を迫る保奈美は、形容し難い威圧感を持っていた。  「そうしたら起こしてあげる」と付け加えた保奈美は直樹に詰め寄る。 「さあ、なおくん。お答えは?」 「うわー、何なに? 求婚? プロポーズ?」 「保奈美さーん。直樹は止めといたほうがいいですよー」  話を聞いていた野次馬達が次々に突っかかる。  節操なしの直樹が即答出来るはずも無く、どうすればこの場を鎮める事が出来るのか逡巡していた。 「そうはさせないよー。久住くんいっただきーー!」 「のぅわぁっ! 美琴! 抱きつくなって!」  美琴が直樹に抱きつく。  胸板に押し付けられた美琴の胸の感触が、直樹から抵抗する力を奪う。 「なっ……み、美琴! なおくんから離れてっ」 「あたしは保奈美さんと結婚するー♪」  直樹から美琴を引き離そうとする保奈美に、禁断の香りを含んだ台詞を言いながら茉理が抱きつく。  何故か茉理はついでに直樹にも腕をまわして抱きつくので、事態はさらにややこしくなる。 「ま、茉理っ。暴れちゃダメだってば!」 「うぅーー……らぁぁーー!!」  唯一まともなちひろは茉理を止めようとし、文緒は意味不明な咆哮をあげなから輪の中に加わる。 「保奈美っ、痛いってば! こら茉理っ!! 耳を噛むな!!」  そこにあるのはカオスだった。  直樹はなすすべもなく、されるがままだった。     #      #      # 「…………いいなぁ」  ただ一人の傍観者。弘司は空になったウイスキーのビンを転がしながら言う。  そして彼の頬に一粒の涙が伝った。 「ちくしょう……なんで直樹ばっかり……くそぅ……」  弘司は顔を真っ赤にして、酔っていた。  彼は泣き上戸だった。 「ぐすっ……なんでこんなに可愛いコばかり居て、みんな見てるのは直樹だけなんだよぅ……  俺だって部長やったりして、存在感をアピールしてるつもりなのに……ぐすん」  弘司はさめざめと泣きながら、ぎゃーぎゃーと騒々しいカオスを見て思った。  どこまで行けばいいのだろう。  どこかにあるのだろうか。  この永い黄昏から救われる「サンクチュアリ」は。 <完>