■ いつか来るその日のために
 
 
 
 
 きゅっ、とやや耳障りな音が教室内に鳴り渡る。それはここでは一日に確実に二回繰り返される、約三十人の演奏者によって奏でられる靴と床の摩擦という協演。
 その一度目は、みながまっていた(というより祐巳がまっていた)ランチタイム時に開演。しかし、カバンに入っている祐巳のお弁当箱はすでにすっからかん。この食い意地のはったタヌキによって米粒一つたりとも残ってはいない。
 では、先ほどの音は必然的に第二幕目の。
 
「おつかれ、祐巳さん。じゃあわたしは部活にいくから!」
「あ、頑張って、由乃さん!」  
 
 元気なだれかさんの挨拶からわかるように、本日の終業のあいさつが終わった後に起こる方だった。
 別に由乃さんに限らず見渡せばクラスのみんなはあるものは教室外へ、またあるものは仲良しグループのもとに駈け寄ったりと、なかなかの賑わいをみせている。
 そういう祐巳とて山百合会の一員、こんなところでぐずぐずしてたら祥子さまのご不興をダース単位でお買い上げになりかねない。急いで薔薇の館に行かないと大変なことになる。
 
(……なーんて、ね)
 
 と、いつもであれば大急ぎで向かっていたところだが、由乃さんが真っ直ぐ部活に向かったことから推測できるように、今日は薔薇の館に来る必要ないと言い渡されていた。
 が、急ぐ必要がないからといって、落ち着いていられるかといえばそうでもない。いやそれどころか、祐巳の心に平穏という名の二文字はここ最近ではすっかり在庫切れ、再入荷はいつになるかは本人にさえわからない状況となっていた。
 その原因ははっきりしている。だが、原因がわかったからといって解決方法がもれなくついてくるとは限らない。特に今回のケースは、なかなかの難物といっていい。
 それはまるで絡み合ってしまった知恵の輪のように、はたまたピースの足りていないパズルをやっているかのように、考えれば考えるほど深みに嵌っていくような感覚を受けていた。
 これが漫画やテレビだったら都合のいい展開が待っているのかもしれないけど、現実は今日の気温よりも厳しい。
 祐巳が、むむむ、とお得意百面相をしようとした矢先。
 
「ほらほら、いい顔して」
 
 そんな声が背後から届いた。ふと見ると、蔦子さんが祐巳のほうに両手でカメラを構えているポーズをとっているのが見える。
 そういえば、最近よく蔦子さんは祐巳にかまってくる。
 おそらく彼女は、山百合会メンバー以外では一番瞳子ちゃんと自分の微妙な関係をわかっている人だ。まあさすがに祐巳が振られたことまでは知らないだろうけどカンのいい蔦子さんのこと、ある程度の推測をしてそのあたりのことで祐巳に対して気をかけてくれるのだろう。
 むろん志摩子さんや由乃さんみたいに事情を知りながらあえてそっとしてくれている優しさも嬉しいけど、蔦子さんのようなはっきりとわかる気配りもそれそれで嬉しいものだ。
 目には見えないカメラを掲げ祐巳を激写してる蔦子さんににやっとしながら、お返しとばかりに右手の人差し指で目には見えない弾丸をばーんと発射した。
 うわやられた、と机に突っ伏す蔦子さんに小さく笑いながら手を振って祐巳は教室をでる。あと心の中でごきげんようと、ありがとうの二点セットを送っておくのも忘れない。
 
 教室を出ると真っ赤なフィルターが祐巳の網膜にかかる。窓の外では見事なまでの夕焼けが、世界を自分の色に染めようと空のキャンバスに紅い絵の具を塗りたくっていた。
 それを見て祐巳は、素直に綺麗だと思った。そして同時にそんな気持をもったことがずいぶん久々なような気がして、軽いため息にも苦笑にもとられないような呼吸をする。
 
 薄紅色の化粧を帯びた廊下をとことこと歩く中、幾人ものリリアン生徒たちとすれ違う。
 その何人か、というよりほとんどすべての人間が祐巳をに対して会釈をしてきた。ある人はおつかれさま、ある人はおめでとう、なんて言ってくる。
 そのそれぞれに会釈を返しながら、祐巳の足取りは廊下の角の階段へとむかう。
 廊下を渡りきり、周りに人がいないことを確認してちょっとほっとしている自分がいた。
 むろんあの人たちが悪いわけじゃあないことはわかってはいるし、祐巳に対しての激励だということもわかるのだけれど、ちょっとばかし居心地悪く感じてしまう。
 
 かつんかつんと降りの階段を降る中、その音に気がついた踊り場にいて会話を愉しんでように見える三人の中の真ん中にいた子が慌てたように会釈をしてきた。
 
「ご、ごきげんよう、ロサ……ア、アン・ブゥトンさま!」
 
 どうやら彼女の心の中でキネンシスという文字は、緊張という名の羽が生えて遠いどこかへ飛んでいってしまったみたいだ。
 祐巳は思わず突っ込みが入れたくなったがなんとかそれを押さえ、少々ぎこちない笑顔でごきげんようと返しながら彼女たちの脇を抜けようとした。
 が、祐巳の身長が三十センチほど彼女らの目線から下がった後、何かを思い出したかのようにその身体を急遽反転する。むろんプリーツは乱さないように、と。
 
「あなたたち、あんまり踊り場を占拠するのはやめなさいね。別におしゃべりが悪いっていうわけじゃあないけど、通行の邪魔になったら危ないから」
 
 言われた三人は青くなったり赤くなったりと大忙し、祐巳の一言で落ち着きのない信号機のように変化していた。
 先ほどと同じく真ん中の子の口が開かれる。
 
「はい、わかりました! ロ……ロサ・キネンシスさま!」
 
 行方の知れなかったキネンシスさんは無事にご帰宅あそばれたみたいだが、今度は別の誰かに羽が生えて飛んでいったみたいだ。しかも今回のほうが祐巳にとってはるかに破壊力のある言葉となっていた。
 祐巳は溜まっていた何かを吐き出すように軽く息を吐いた後、改めてごきげんようとそのの足取りを下に進めていった。
 
 一階について下駄箱に出ると、先ほどまで鮮やかな赤一色だったキャンバスはほんの少しばかし黒い色が混じっていた。
 この時期の太陽さんの営業時間は少々短く、油断してるとあっという間に西の彼方にお帰りになっている。まったく、もう少し営業時間を延ばしてもいいだろうに。
 そんな愚痴めいたことを考えながら、右のポケットから真新しい皮製の手袋を取り出しいそいそと装着する。これが去年だったら祐巳の両手を守ってくれるのは長年愛用していたピンクの毛糸で織られていた手袋なのだが、どうしてなのか不思議とそれを使う気にならなくなっていた。
 心境の変化、といえばかっこよく聞こえるのかもしれないけど、単に背伸びしているだけなのだろう。手袋を変えたところで何にもなるわけじゃないのに、むしろそういうことを気にすることが滑稽なのかもしれない。
 けどそんな滑稽なことを気にするぐらい、自分にとって紅薔薇というものは重いものに感じられた。
 
 先ほどの三人ではないが、大半のリリアン生徒は祥子さまではなく祐巳たちを薔薇さまとして見ているのだと感じた。
 少なくとも先ほどの彼女たちの態度は、今までのような親しみやすい紅薔薇の蕾に対してといった感じではなかった。たぶんの心の中では、もう祐巳たちは蕾ではなく当代薔薇さまになっているのだろう。
 嫌でも悟らないといけない。自分はもうリリアンでは三人しかいない薔薇さまの一人として見られているのだということを。
 
 刺すような乾燥した冷たい風が吹き付ける中、祐巳は銀杏並木を歩いていく。そしてその足元では、黄金色を通り越してまるでガトーショコラのような色合いをした葉っぱがまるでそっちじゃないよといわんばかりに祐巳との進行方向とは逆の方向へと転がっていくのが見える。
 そんな祐巳の足取りが止まったのはむろん銀杏の葉っぱに止められたわけではなく、あるものが目に入ったからだ。
 それはあの時のままだった。
 
「……当選、藤堂志摩子、島津由乃、福沢祐巳……」
 
 掲示板に貼られているやや滲んでいる文字を目で追いながら、祐巳はその書かれている人名だけを風に乗せる。
 そしてその目は大きく書かれていた三名に比べ少し小さめに書かれている人名へと向かっていった。
 
「そして選外、松平瞳子……」
 
 その名前が空気を揺らしたとき、祐巳の口から震えていたのは何も寒さのせいばかりではなかっであろう。
 それはまるでミルクと砂糖ない淹れたてのコーヒーのように、火傷を伴う苦い記憶として祐巳の脳内に焼きついていた。
 
 選挙最終日のあの日、選挙結果を見た瞳子ちゃんは笑っていた。
 それはもう晴れ晴れしいほどに。
 祐巳を見つけた瞳子ちゃんは、その笑みを浮かべながら視線を下に落として何かを振り切るように去ってった。
 その直後、乃梨子ちゃんが祐巳の元にやってきた。いや、それは駆けつけてきたと言ったほうがいいだろう。
 その顔つきから、乃梨子ちゃんも見たのだろう。それを問うまもなく乃梨子ちゃんから第一声がもたらされる。
 瞳子は負けるつもりだったんです、それは祐巳にとって納得のできるものだった。いやむしろそれは祐巳の心を代弁したものに等しかった。
 
 そして問題は、それがはどういう意図があってということだ。
 もとより勝つつもりではなく、単に目立ちたかったから。常日頃から女優を目指していると公言している瞳子ちゃんに対して言えば、その動機はあながちないと言い切れないのかもしれない。
 だが、その考えを祐巳は即座に否定した。理屈ではなく感情のほうで。
 あのときの笑顔はそんなに軽いものじゃない。
 たしかに笑顔だった。けどそれは単純に喜びを表しているものじゃなく、どちらかといえば寂しさを感じさせるものだった。
 
 人は嬉しければ笑い、悲しければ泣く。けど、うれし泣きという言葉があるように、表情は時として感情通りに動いてくれないときがある。そしてそれは往々にして、通常の感情レベルを通りこしたときに起こる。
 あのときの瞳子ちゃんのあれは悲し笑いといえばいいのか、少なくとも喜びからでているものだとは到底思えなかった。
 あの笑みの意味がなんだったのかははっきりとはわからない。ただ一つだけ言えるのは、あの寂しげな笑顔はこの自分にだけに向けられたのだということ。それだけは間違いないと確信してる。
 
 根拠といえるものなんてない。けど学園祭での記憶、瞳子ちゃんが祐巳の家に来た理由、クリスマスでの出来事、そして選挙結果で祐巳に見せた瞳子ちゃんの寂しさを感じさせる笑顔、それらひとつひとつの点を結びつけたとき、わかったような気がした。
 瞳子ちゃんは、ずっと祐巳に対して手を伸ばしていた。おそらく何かを、ひょっとしたら救いを祐巳に求めていたのかもしれない。
 確かに、はっきりとした意思表示をしなかった瞳子ちゃんにも非があるだろう。
 ただここで認めなければいけないのは、自分は瞳子ちゃんが好きだといっておいて、その内面をまったく理解しようとしなかったことだ。
 さらにいうなれば自分の都合のいい瞳子ちゃん像を作っておいて、その気持を瞳子ちゃんに押し付けようとした。そしてその傲慢さがロザリオの提示につながり最悪の結果を招いてしまった。
 
 気がつかなかった、自分。ずっと自分を演じてきた瞳子ちゃん。
 どっちが悪かった、というのはもう意味が無い。
 これは、どちらかが正しくてどちらかが悪いというものではない。
 あの時、祐巳は瞳子ちゃんにロザリオを提示した。
 たぶんだけど、何度くりかえしても自分は瞳子ちゃんにロザリオを提示しただろう。それが瞳子ちゃんのためになると思って。
 けど、瞳子ちゃんにとってみれば当たり前でもなんでもなく、考えられる上で最悪の言葉だったのだと思う。
 あの時の瞳子ちゃんは、そんなものを望んでいなかった。
 じゃあ何を望んでいたかと聞かれると、まだはっきり答えられるほど瞳子ちゃんをわかってはいない。
 
 ただ、あの時の失敗でわかったことがある。
 ロザリオ、それは姉妹の契りに欠かせないもの。けど、あくまでそれは形式に過ぎない。これは、決してロザリオの授与を軽んじているわけじゃない。むしろ逆だ。
 あの時の祐巳は、ロザリオを瞳子ちゃんを引き止めるための道具に使ってしまった。
 ロザリオをあげるから妹になるんじゃない。それはあくまで形としてであって、本質ではない。
 ここでいう本質は、姉妹になることの意味。それをすることによる自分に対しての責任。つまり、心構え。
 妹にするということは、少なくともそれからの学園生活の一部を自分が負うことに等しい。
 わたしはあなたと一緒に歩きたい。共に泣き、共に笑って、あなたとこの道を一緒に歩いていきたい。その気持があってこそ、その気持を相手にきちんと使えた上でないと、ロザリオを提示するなど失笑ものだ。
 少なくあのときの祐巳は、瞳子ちゃんの内面についての配慮がなかった。それが瞳子ちゃんにロザリオを、いやそれどころか祐巳を否定する理由の一つなんだろう。
 
 取り消せるなら、あのとき先走った自分を止めてやりたい。けどいくらタヌキな自分でも、時空を飛ぶ便利な畳をもっている青いタヌキとは知り合いではない。
 この世界は21世紀と違って、そんなに便利な世界じゃない。一度言ってしまったことは、もう取り消せない。
 
「わたしの妹にならない……」
 
 無意識に呟いた言葉は、鋭い痛みとなって祐巳の胸をえぐる。 
 あのとき瞳子ちゃんに言ってしまった言葉は、ずっと自分にとって負い目になるのだろう。言葉の意味そのものではなく、あの時の状況で言ってしまったことに対して。自分が瞳子ちゃんという子の本質をまったく理解してなかったことに対して。
 けど矛盾しているかもしれないけど、その負い目を出すことなく瞳子ちゃんと向かい合わないといけない。
 目をそらすのではなく、ただ自然に受け入れて。
 負い目から優しくするのは、自分の心を楽にさせるだろう。けど、それじゃあ瞳子ちゃんに対してあんまりだ。
 自分の罪悪感を癒すために、瞳子をちゃんをダシにしてはいけない。
 それを踏まえて、きちんと向かいあわなきゃいけない。
 けど、それが出来るのだろうか? 本当にできるのだろうか?
 正直、そんなの考えたくも無い。瞳子ちゃんをこれ以上傷つけたくない。
 さっき自分は、瞳子ちゃんにあんまりだ、なんてかっこつけたけど、本当はそんなの忘れて手をつないで一緒に歩きたい。右に祥子さま、左に瞳子ちゃんを連れて一緒に歩きたい。
 心が苦しい。
 こんなにも苦しい気持ちをもって、祥子さまは祐巳をしつけてくれたのだろうか?
 わからない。でもその躾があったからこそ、今の自分があるといえる。
 厳しさの中に優しさがあったからこそ、むしろ優しさゆえの厳しさだったからこそ祐巳は胸をはって祥子さまを自分の生涯でただ一人の姉だといえる。
 本当に、本当に感謝している。
 けど同時に、自分自身の不甲斐なさを嘆いてしまう。
 ああ、いつになったら独り立ちの報告ができるんだろう、と。
 ほら、あなたの祐巳は祥子さまのおかげでこんなにも立派になりましたよ、もうなんでも一人でできますよ、って祥子さまに伝えないといけないのに、自分はまだまだ祥子さまに甘えてしまっている。いつまでたっても心配をかけてしまっている甘えん坊だ。
 祐巳は、暗くなりかけた空を見上げた。
 突如無防備となった首筋に凍てつくような冷たい風が容赦なく吹き付ける。
 
「……もう二月なのにね」
 
 その風は、祐巳の全身を締め付けるようにまとわりつく。それはまるで、今の行動できない自分を嘲笑っているかのように。
 けどその春をまだまだ感じさせない冷たい風に、心のどこかでほっとしている自分がいる。
 
「はーるよこい……はーやく」
 
 祐巳の口からもれたそれは、子供のときから好きだった民謡。
 この歌をお母さんからこの歌を教えてもらった寒がりの祐巳は、この時期になったら早くぽかぽかと暖かくなれと念じて歌っていた。
 でも、今年に限っては歌えない。唇がカサカサでもないのに、風邪を引いているわけでもないのに歌えない。
 
「……歌えるわけ、ないじゃない」
 
 だって、暖かくなったら春が来ちゃうから。春がやってきたらお別れになっちゃうから。お姉さまと、お姉さまとのお別れになっちゃうから。
 それは科学的根拠とは同居を許されない考え方、冷たかろうが暖かろうが四月になれば嫌でもお別れはやってくる。
 けどそんな馬鹿な考え方にすがってしまう位、つらい現実を直視したくはなかった。
 お姉さまなんてなりたくない。ずっと、祥子さまの妹でいたい。
 けど、祥子さまはもういなくなっちゃう。あとたった二ヶ月でいなくなっちゃう。
 祥子さまは悲しくないのだろうか。もう少しで終わっちゃうのに、もうすこししたらもう一緒にいられないのに。
 
「……そんなわけない、よね」
 
 なんて馬鹿な考え。悲しくないはずがないじゃない。祥子さまだって、悲しいに決まっている。これまで一緒に泣いたり笑ったり怒ったりしてきたのに、そんなわけないじゃないか。
 選挙結果を伝えたとき、祥子さまはただ一言、そう、としか言わなかった。おめでとう、の一言すらなかった。
 もう、お姉さまは嬉しくないのですか、とふてくされて抗議しようとした祐巳の口が止まったのは、祥子さまの表情を見てしまったから。
 目尻はちょっとさがり、鼻は少しだけ開き、その口元はほんの微かにトーンカーブを描いている、そんな顔。
 他の人にはそれが何を意味しているのかわからない。せいぜい機嫌がいいのかな、としかとられない表情。
 けど、祐巳にはわかる。あのときの顔は、祐巳にとって最高のご褒美。
 おっちょこちょいな妹がミスをして怒られてそれでもミスをして、そしてやっぱり怒られて泣きそうになりながらもなんとか一仕事を終えたときにようやく見せてもらえる表情。
 たったそれだけ、あれだけ怒られて頑張って貰えるのはたったそれだけ。だけど、世界で祐巳にしか見せてもらえない最高のお姉さまが妹にだけにくれるプレゼント。この人の妹でよかったと思える、最高の瞬間。
 ひょっとしたら、祥子さまは隠そうとしていたのかもしれない。でも、某の百面相が伝染ったのかうまくはいかなかった。
 
 あともうひとつ、その表情は少しだけいつもとは違っていた。なんでだか、少しいつもと違っているように見えた。
 それが何なのか考えようとしたとき、どうしてだかふっと昨日食卓時のお父さんの顔が浮かんできた。あんまりお酒が強くないお父さんが顔を真っ赤に染めている顔。
 むろん、タヌキ一家のお父さんと祥子さまの顔が似ているわけじゃない。けど、お父さんと祥子さまにある共通点があった。
 はっきり形あるものじゃないけど、肩の荷が下りたような、何かをやり終えたような、そんな感じ。
 それはたぶん、達成感と呼ばれるもの。
 去年から取り掛かっていた仕事がようやく終わったお父さんは、そりゃあもう上機嫌だった。
 いつもはうるさいお母さんも、ちょっとだけ苦笑をうかべながらお父さんと自分のコップにビールを注いでいた。
 それは一つの仕事が終わったときに行われる、福沢家では半ば恒例となったささやかな祝杯。
 なんとなくだけど、あのときの祥子さまは同じようなものを感じた。
 あるいは祥子さまのそれは、二年越しの達成感だったのかもしれない。
 そこまで考えて、祐巳は悟った。結局、自分は祥子さまという日傘の下でぬくぬくと育てられたのだということが。
 ちょっぴりおこりんぼうだけど、いつも雨や風や強い日光から祐巳を守ってくれていた暖かい傘。
 雨の天気だって、晴れの天気だってずっと祐巳を包んでくれた大切な傘。
 けど、もうそろそろその傘をたたまなきゃいけない。
 自分をずっとずっと見守ってくれていた日傘に感謝を込めて、そっと畳まなきゃいけない。そうじゃないと、いつまでたってもお姉さまを安心させることはできない。
 
 祐巳は、自分の両手を見る。
 今は冷えこんではいるけど、この両手はこれまで数え切れないほどの温もりを感じた。
 あるいはそれは、温室でのあの日。
 あるいはそれは、学園祭でのあの日。
 けど、一人じゃあ暖かくはなれない。どんなに強がって見せても、その手は冷え込んだままだ。
 心だって、同じだと思う。
 瞳子ちゃんは、何かを抱えている。他人にはいえないなにか。
 それが瞳子ちゃんの仮面を被っている一因なのは間違いない。
 今、自分がやらないといけないこと。 
 仮面を引っぺがす。ううん、違う。そうじゃない。
 外してもらわないといけないんだ。瞳子ちゃん自身の手で。
 多かれ少なかれ、誰だって仮面を、もしくは化粧をして自分の表面を隠している。むろん祐巳だって今でこそ百面相だなんて呼ばれてるけど、中学時代の自分は百面どころか能面に等しかった。
 人に合わせることを優しさと勘違いして、常に人に合わせてきた。自分の考えは押し通さず、周りの意見に流されていた。
 今の瞳子ちゃんはあのときの祐巳とは違うかもしれないけど、自分の押し込んでいるという意味では一緒だ。
 
 けど、それじゃあいつまでたってもわからないことがある。いっぱいある。
 自分をかわいそうだ、と決め付けていてはいつまでたっても変わることなんてできやしない。たとえ幸せなことがあっても、麻痺している心じゃあそれを感じ取れることなんてできやしない。
 自分を、好きになってほしい。少しでも自分を好きになれば、化粧ぐらいはするかもしれないけど、顔全部をすっぽり隠すような仮面なんて必要なくなる。
 祐巳は、瞳子ちゃんが好きだ。
 あの意地っ張りだけどナイーブな瞳子ちゃんが好き。けど、自分で自分を追い込んでる瞳子ちゃんは嫌い。
 気づいてほしい、塞ぎこんでいたって誰も助けてはくれないということを。内に向けたって、目を向けてくれない。外に向けて発してほしい。自分の声を発してほしい。 
 
 柏下さんのいう瞳子ちゃんの秘密。
 祐巳は、それがなんなのかは知らない。知りたくないわけじゃない。けど、いうなればそれば、他人事だ。
 他人事、少し冷たい言い方になったけど、誰にだって言いたくないことはある。最悪、瞳子ちゃんがそのことをずっと秘密にしても仕方がないだろう。
 ただ問題は、それを大義名分にして自分を自ら不幸だと自ら貶めていることなんだと思う。瞳子ちゃんは自分を不幸だと決め付けて、前に進むことを拒否している。
 けど、それじゃあなんにもならない。それは、ただの思考停止だ。
 いうなれば受け手の問題。誰だって、幸せなときはあるし不幸だと感じることはある。幸せなことはすぐに忘れて不幸にばかり目がいってしまえば、自分は不幸だと感じてしまうだろう。その逆も然り。
 ああ、なんて自分は悲しい人間なんだろう、確かにその考え方は楽な生き方かもしれない。
 幸せになる努力を放棄して、自分は不幸だと思考停止をすればそれ以上心が傷つくこともないのだから。
 
 でも、それはあまりにも悲しい生き方なんじゃないだろうか。
 自分だけの問題じゃない。周りだって悲しい。絶対に悲しい。
 人は、誰にだって幸せになる権利があり義務がある。
 幸せになる義務、それはなにも自分だけの問題じゃない。いやむしろ、自分のことを想ってくれている人に対しての義務なんだと思う。
 祐巳が悲しめば、お父さんが悲しむしお母さんだって祐麒だって悲しむ。そしてもちろん祥子さまだって。
 その人たちのためにも、幸せになりたいと思う。そうすれば、自分を想ってくれている人だって笑ってくれる。みんなが幸せになれる。
 むろん、簡単なことじゃない。
 だけど、塞ぎこまないでいたらなんにも始まらない。
 幸せは、むこうからかってにはやってこない。孤独という名の釣堀に、自虐という餌をちらつかせていても幸せを吊り上げることなんてできっこない。そんな不味い餌じゃあ、食いついてくれるはせいぜい後悔ぐらいしかないだろう。
 ただただ待っていてやってくるのは幸せじゃない。あったとしても、それはただの幸運。
 だから例え傷つくことがあっても、それに目を逸らさないでほしい。すぐに立ち上がれなんていわない。苦しいときは、苦しいといってほしい。
 それは別に自分じゃなくていい。だって、瞳子ちゃんには乃梨子ちゃんというあんなにも心配してくれている友達がいる。家出のとき祐巳の家に飛んできた柏木さんだって、心配しているのだと思う。
 ううん、ひょっとしたら祐巳の知らないところで瞳子ちゃんの心配してくれる人がいるのかもれない。
 だから知ってほしい、瞳子のことを好きだってはっきりといえる人間がいるってことを。そして気づいてほしい、それなのに自ら不幸になろうとすることは、その人たちの気持も踏みにじっていることを。
 
 瞳子ちゃんからしてみれば、それは善意の押し付けにすぎないのかもしれない。
 けど、最初はみんなそうだ。最初から相思相愛なんてありえるはずがない。
 最初好意と呼ばれるそれは、やがて純然たる好きとなって、そしていつかは愛となる。
 祐巳の瞳子ちゃんに対しての気持は、好きで止まってしまってる。もっともっと先に進みたいのに、停車を余儀なくされている。
 けど、進めたい。進めていきたい。この胸に燻って停車を余儀なくされて行き場のない気持を、次の駅に進めてあげたい。
 でも、一人じゃ無理。だってこのコミュニケーションという路線は、一人で運転できないようになっているから。
 コミュニケーション、それは心と心のキャッチボール。相手がいて初めてすることが出来る、心の運動。
 
 そのスポーツは、全てが相手にとって都合のいい球が飛んでくるわけじゃない。時には怒らせたり、悲しませたりすることだってある。
 だけど、それは必要なことなんだと思う。
 そうすることによって少しずつ相手を理解でき、なおかつ相手に自分と言う人間を理解してもらえる。
 悲しいことも嬉しいことも、ベクトルは真逆だけど心に刻むという意味では等価なんだ。 
 心を動かせるのは、心だけ。
 上辺だけじゃあ、人の心は動いてくれない。
 
 自分は学園祭のあの日、瞳子ちゃんにあることを教えてもらった。人の手が、あんなにも暖かいということを。さらにいえば、人から感謝してもらえることがこんなにも嬉しい気持にさせてもらえるということが。
 自分に読心術の心得なんてないけど、あのときの気持が間違いだなんて思えない。あのときの瞳子ちゃんは口にはしなかったけど、いや、口に出せなかったからこそその握る手に気持を込めながら握ってくれたんだと思う。
 あのときにもう少し踏み込む勇気がもてたのなら、こんな状況にはならなかったのかもしれない。
 
 優しさ=甘さ、とまでいわないけど、自分は多分優しさを少し履き違えているところがあったんだと思う。
 自分が、気に障った、もしくはそれは違うと思ったことに合わせることは、少なくとも優しさではない。
 そこで指摘ができないでいると、いつまでたってもその人間との信頼関係は築けない。
 時には相手の心を傷つける勇気をもって相対することが、本当の優しさと呼べるものではないかと最近思うようになった。
 姉妹の契り、それはある種の誓約。まだ結んだわけじゃないけど、自分にとってもう瞳子ちゃんは特別な存在だ。
 
「だから……だけど」
 
 祐巳の思考の区切りに、二つの接続詞が脳内に示される。
 
「だけど? ……ううん、ちがう」
 
 そう、ここの選択肢はだからが正しいに決まっている。
 
 瞳子ちゃんは、自分にボールを投げつけてきた。
 鈍感なタヌキに、立候補という名の球を投げつけてどこかへ行ってしまった。
 瞳子ちゃんからしてみればそれは決別の意味を持つのかもしれないけど、そうはいかない。
 次は、自分の番。
 出来る、出来ないは問題じゃない。
 うまくいく保障なんて、マリア様だってしてくれない。
 だからって、タヌキ寝入りなんてできるはずがない。
 
「……やっぱり、自分は瞳子ちゃんじゃないとだめ。絶対にだめ」
 
 祥子さまにとって妹が自分しかいなかったように、祐巳にとっての姉が祥子さましかいなかったように、自分にとっての妹は瞳子ちゃんしかいない。
 じゃあ、失敗を恐れてこのまま指をくわえてずっと待つのか。それとも、
 
「そんなわけ、いかないよね」
 
 正直、瞳子ちゃんの前に立つことを想像するだけで胸が痛くなるし挫けそうになる。
 思わず、ごめん、なんて口走ってしまうんじゃないかって考えてしまう。
 けどそれだけはしちゃあいけない。結果がどうなれ、自分は瞳子ちゃんと向かい合わないといけないんだ。
 だって自分は、もう紅薔薇さまなんだから。
 そしてなによりその心においては、瞳子ちゃんのお姉さまなのだから。
 
 

 
 
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